【往還集121】33 『忘れずあらむ』稲葉京子(不識書院)

 稲葉京子をいつかきちんと論じなければと思いながら、果たすことなく今日まで来た。稲葉の歌は、現実に発しながら現実を超え、観念へと上昇しながら観念へ 全身をあずけることもない。その「あい間」を往還しつつ、透明度を保ってきた。稲葉は若いころ、児童文学に心を寄せている。このときの、人間を原点におい て見る経験も、どこかに生きつづけている。
幾つかと問へば応ふる何といふうつくしい数五歳といふは
かなたより誰か呼びたりまかげしてふたたびみたびわれは降り向く
ひしひしと青信号を往き還る曇天なれば影なき人ら
樹の心天に従ふ折々に真直ぐに落ちる花びらのあり
後半になり、生死に触れつつ境涯を深めはじめているのも、感慨深い。
(8月30日)

【往還集121】32 『セックスはなぜ楽しいか』ジャレド・ダイアモンド(草思社)

 翻訳に当った長谷川寿一によると、出版直後に注文したところ、貴国ではポルノ扱いされるので通関できない可能性ありの返事が来たそうだ。なるほど、このタ イトルでは。しかし中身はきわめて真面目であり、性や人間の根本に及んでいる。「性はわれわれに最も深い喜びをもたらすが、逆に苦悩の種となることもあ る。そうした苦悩のほとんどは、進化によって生じた男女の役割のあいだの本来的な対立から生まれるのだ。」フェミニストは男性中心社会に異を唱える。私は その思いに共感しながらも、権力者としての男性に生まれたかったわけでないといつも考えてきた。ジャレドはこの性差の因を、他の生物との比較において論証 し、男女の役割の生じる根源へ迫っていく。ここからはじめなければ、性差の問題は解けてこないのだと、目の薄膜がはがれる思いがした。
(8月29日)

【往還集121】31 『正法眼蔵』(河出書房新社)

 石井恭二注釈の『眼蔵』全五巻を、墨筆で書写しようと思い立って、やっと三巻まできた。なにしろ名だたる超難解物。立松和平『道元禅師』その他の助けを借 りて、なんとかかんとかやってきたが、難解にはかわりはない。ほんの折りに「なるほど」とうなずける章に出会う。「説心説性」の六章。「菩提心をおこし、 仏道修行におもむくのちよりは、難行をねんごろにおこなふといへども、百行に一当なし。」とはじまる。石井訳によれば、どのように修行しても百の矢を射て も一つも当たることのないのが普通だ、知識に学び、経巻に学ぶうちにようやく一当を得るのだ、「いま得た一当はむかし百の矢を射た努力の賜物である、当ら なかった百の矢に籠った努力が熟したのである。」「徒労のような努力によって道は自在に通ずる」なかなかいいことをいってくれる。いつも徒労ばかり重ねて いる自分など、勇気づけられます。
(8月29日)

【往還集121】30 『小中英之全歌集』(砂子屋書房)

今回取り上げた本。『小中英之全歌集』『正法眼蔵』『セックスはなぜ楽しいか』『忘れずあらむ』『サリンジャーは死んでしまった』『窪田空穂全集』『老いの歌』

短歌の世界も、どんどん変化していく。「前衛短歌」ですら、過去の遺物なみに扱われだした。こういう時流のなかで、忘れてほしくないのに、忘れられていく 歌人もいる。小中英之もその一人。彼の作風は、最初から古風だった。しかし洗練された秀歌の数々。何とかして後世に残したいと思いつづけてきた。昨年の 春、砂子屋書房が全歌集を引き受けてくれることになった。編纂委員は藤原龍一郎・天草季紅各氏と自分。「解説」を担当することになり、震災で暖房も断たれ た日々、膨大なゲラを読み込み、想を練りつづけた。刊行は7月30日。どこに出しても恥ずかしくない、615頁の立派な本になった。最晩年に到っても、 「くちばしに鳥の無念の汚れゐて砂上に肺腑のごとき実こぼす」のような秀歌の数々。「歌人・小中英之」は、最期まで衰えていなかった。享年64歳。
(8月29日)

【往還集121】29「夏の終わり」

勢いよく咲いたホウセンカ。
急に元気に咲きだした朝顔。

夏、早暁4時。机に向かうまえに、ベランダに出て頭を冷やす。すると三方の森から、ヒグラシが湧きあがり、ホトトギス・ウグイスも合唱に加わる。一夜鳴き つづけたヨタカは、そろそろ眠りにつく。お盆が過ぎるころから、虫の音に主役はかわる。そして八月末、ススキが穂をのばし、空気にも秋の感触がする。この 時期になると、ひと夏のことが顧みられる。自然のめぐりは同じようでも、微妙に違う。去年、火を噴くように咲いたネムは、今年は勢いがない。長年、アゲハ の住処になっていたサンショウの木が、何の予告もなく枯れてしまった。反面、いつもはしょぼくれていたホウセンカが赤・臙脂・白とも全開だ。伸び具合がよ くなくて心配していたアサガオも、急に開きはじめた。人間同様、木にも花にもそれぞれの事情がある。さて、秋の感触がしてくると、この夏に読んだ本につい て語りたくなる。で、本の話を。
(8月29日)

【往還集121】28「そこから、閖上へ」

小学校の体育館。拾得品の写真が展示されている。

 荒浜から閖上への道路も通れるようになった。途中の集落には壊滅家屋がいまだ立ち並び、廃船も捨て置かれたままだ。閖上小学校へ。震災以来、救援基地に なっていたが、今は自衛隊も引き上げた。体育館から校舎の二階、三階へ通じるピンク色の階段は、しっかりしている。ここを使って子供たちは、難を逃れた。 体育館の中は、拾得品の展示場になっている。泥を洗い落とした写真、カバン、ケータイ、卒塔婆、位牌、賞状……。あらゆるものが、所狭しと並ぶ。ひとりの 女の人が、未整理の写真の区分けに余念がない。さっきから写真の一枚ずつをめくっていた男性が、「あった!」と声を上げる。女の人が「よかったねえ」と近 寄り、ビニール袋に入れてあげる。復興とは死者を乗り越えること—-といってしまったが、それは半面でしかなかった。失ってならない記憶は、生者が次へ踏 み出すための力でもあった。
(8月17日)

【往還集121】27「再び、荒浜へ」

荒浜。砂浜の廃材が山と積まれている。

 方言で、盆の終わりを「お帰り(おげえり)」という。そのオゲエリも過ぎてやっと平常になったところで、再び荒浜へ。一か月まえは賑わしかった重機の音 がほとんど絶え、森閑とした空間が広がるばかり。瓦礫の大方が搬出されたためだ。荒浜小学校も四方が柵で囲まれ、立ち入ることはできない。校庭にはバイ ク、車、農機具のスクラップが積まれている。まだ処置されずに残っている家屋はあるが、一家が壊滅したためにちがいない。海岸のゴミも片付けられ、小山に なって彼方まで続く。防潮堤のひとところには花と線香が。私も焼香して、額を垂れる。膝を屈して、しばし立ちえない。こうして津波の痕跡は、消えていく。 3・11以前の、いつもの青海に戻っていく。やがては、死者の面影すら消えていく。復興とは死者を乗り越えること—-とはわかっている。だのに、この胸を 咬む寂寥は、やりきれなさはどうしたことだろうか。
(8月17日)

【往還集121】26「神ヶ根温泉」

雑木林に囲まれた神ヶ根温泉。

 新聞の訃報欄には、今でも震災の物故者が出る。家族四人の名が連記されていることもあって、今更のごとく胸が痛む。震災に関わる記事も途切れないから、 とかく心が沈んでくる。これではいけない、たまには気持ちを洗い流さなければ。そんなときに出かける温泉がある。家から車で十分走れば秋保温泉。温泉街か らさらに三キロ奥まった所に、いちばん鄙びた「神ヶ根温泉」がある。雑木林に囲まれ、こじんまりした木造の二階建。余計なものは、なにもない。湯船も小さ 目。この、気張らない、飾り気のないのがいい。自炊者用の食堂兼休憩室には本棚があって、自由に読書できる。なぜか『ゴルバチョフ回想録』があり、吉本ば なな、村上龍、村上春樹など、まともなのが並ぶ。木洩れ日と梢をわたる風、小鳥とセミと水音。人の気配は最小限。ただし、湯船はひとつだけ。ということ は、混浴になることもある。
(8月16日)

【往還集121】26「吾輩は松である」

 〈吾輩は松である。いやはや、たった一本残ったために、世の憂きごとをたんまりと見なければならぬ。例の京都「五山送り火」に、ケガレがありそうだから と拒まれ、一転してヨシといわれ、新たな松が検査の結果ケガレの判定で、またダメ。やっと成田山新勝寺が引き受けてくれることになった。まずはっきりさせ たいのは、われわれ松には一切関わりがないということ。勝手にケガレを飛ばしておいて、ケガレたからダメというのでは立つ瀬がない。おかげで三陸のあれも これもあやしくなってしまった。格式高い京都のことだから、三陸の中学生・高校生が修学旅行に行く季節になったら、まず検査せよ、少しでもセシウムが検出 されたら立ち入り禁止というのではないか。それもまたよかろう。ほめられず、苦にされっぱなしで、いつも静かに笑っている。それ以外どのようにできよう か。これがトーホクというもの。〉
(8月15日)

【往還集121】25「編むこと・続」

 手編みは、時間がかかる。せっかく編み進めてもまちがいに気づけば、ほどき直さなければならない。機械製品が出回っている時代に、とんでもない非効率的 なことだ。だのに引きつけられるのは、まさに非効率性にこそ理由がある。ただ単純に、来る日も来る日も編みつづけていると、いつの間にか自分が消えてい く。脚本家の筒井ともみに『着る女』(マガジンハウス)というエッセイ集がある。「セーターと毛糸の匂い」で、母親がセーターをほどき、それを毛糸玉に巻 き取っていく思い出が描かれている。そういう単純な手作業が子供のころから大好きだったという。「ひっそりと指先で同じ作業をくり返していると、だんだん 自分というものが消滅していくような感じがして、それが好きだったのかもしれない。」これだ、この感じ!個性を際立たせるのでなく、その逆に自分を消して いく。編むとは、そういうことだった。
(8月12日)