【往還集121】44 「花巻へ 2」

花巻のホテル・グランシェールから見下ろすと、不可思議な交番と道路の構図が。

花巻の定宿は、花巻駅前にあるホテル・グランシェール。東向きの上階からは、市街一帯とその彼方の稲田、さらに東方の北上山脈が一望できる。空気の澄むと きには、早池峰山もくっきりと見える。直下には、大きい星印を掲げた交番の建物。そこを中軸に道路が二つにわかれる。夜になると灯りがともり、まるで銀河 の国に迷い込んだ気分になる。霧の朝はさらに幻想的な雰囲気になって、見飽きることがない。一日の行事に疲れ、ホテルにもどり窓外を眺めていると、十一年 の歳月があっという間だったと思われてくる。賢治学会の理事になったのは二〇〇〇年のこと。四年やって、四年休み、再び公選されて、三年目。任期はあと一 年。人には退きどきがある。たとえまた公選されても、次の若手の出番を妨げないように、そっと消え去ることにしよう。窓外の景とも、やがてはお別れだ。い ま、黄金色の田園が広がる。放射能に汚染されていませんように。
(9月22日)

【往還集121】43 「花巻へ 1」

 9月21日の賢治祭につづき、22日は宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の授賞式。一夜かけて台風が荒れ、各地の交通機関が遮断された。自分も例外でなく、嵐に 負けそうになりながらも、何とか花巻に到着。なにしろこちらは賞選考委員、ズルをするわけにはいかない。委員は七年務めたことになるが、今年は特にイーハ トーブ賞に苦労した。賢治精神を実践した人に贈るのが賞の趣旨だが、三陸の大震災でブドリのごとくに献身し、亡くなった人は何人もいる。そういう人をさし おいて、賞を贈ることができようか、仮に殉職者に贈るとなっても、個人も団体も特定などできない、それならどうするかで、委員は迷い苦しんだ。結局、本賞 は「無数のブドリへ」の気持ちをこめて該当なしにした。そのかわり奨励賞は、東北を拠点としてする活動する彫刻家安斉重夫氏と落語家川野目亭南天氏二人に 引き受けていただいた。
(9月22日)

【往還集121】41 「ジャズフェス」

今秋もやってきたジャズフェス。路上に腰をおろして聞き惚れる人もいっぱいいる。

9月10−11日は、仙台で恒例の音楽祭、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」。参加バンドは730グループをこえ、ステージも45個所ある。たち まち21回目になった。このイベントは初期から見ているが、最初はひどいグループもいた。ただどんちゃん騒ぎの自己満足派も少なくない。それが年々洗練さ れて、いまでは十分に楽しむことができる。私は、地べたにすわって、見て聴くだけの一ファンだが、音楽を表現手段にする人が羨ましくてしかたがない。こち らの音楽歴はきわめて貧弱、小学の数年間バイオリンを習ったが、才能のないことを自覚して遠ざかった。教師になった当初、同僚三人でバンドを結成、自分は ウクレレを担当したが、ただ楽しむだけで終わった。秋のひととき、全身で楽器を操り、妙なる音色を響かせるいっぱいの老若。こちらが音楽からの落伍者だけ に、どれもが神業にみえてしまう。
(9月11日)

【往還集121】40 「鴻ノ巣温泉」

渓流沿いにある鴻ノ巣温泉。休業となり、深い自然に包まれている。

羽山渓谷の上流の方向に、木造の湯治場が見える。そこにいつか行ってみたいと思っていた。今日はちょうどよい折。いったん県道に出て、バス停「鴻ノ巣温 泉」から左折。いきなり細くて急な山道になる。途中に車を置いて、下っていく。すると渓流沿いに、一軒の木造湯治場が。目のまえには、濃緑の山がそそり立 つ。人の気配はゼロ。恐る恐る玄関のほうへ行くと、ひとりのおばあさんが出てきた。今日はやっていないのですかと問う。震災でこわれたし、来る人もいない から閉じてしまったという。いまどき湯治なんてはやらないからねえともいう。人界の匂いのない、瀬の音、風と音だけの離れ里がたちまち気に入ったというの に。釜房ダムのほとりにも金山温泉があって、やはり浮世離れした所だが、今回の震災で閉じてしまった。3・11は海沿いだけでなく、山深くまで侵してい た。
(9月7日)

【往還集121】39 「羽山橋」

秋保、羽山橋の渓谷。

秋保温泉の西方奥に、かんかね神ヶ根温泉のあることはまえも書いた。そのすぐ下にははねやま羽山橋がある。切り立った崖と、大岩をぬって走る渓流。ふたく ち二口峡谷を水源とし、らいらいきょう磊々峡へとつづく。ここも自分のお好みの場所。で、お盆期間にも行ってみる。驚いてしまった。ふだんは水と風と小鳥 の声だけなのに、山道に五十台以上の車が並び、いっぱいの子どもたちが水着姿で遊びに興じている。その歓声よ。これは猛暑のせいだけではない。福島・宮 城・岩手の海水浴場は使えない、プール施設もほとんど閉鎖状態だから、せめて水遊びできるところとして、ここを探しあてたのかも。震災の影響は、山も無縁 ではなかった。夏休みも終り、九月に入った今日、再び行ってみる。芋煮会の若いグループ三組が炊飯をしているのみで、いつもの静けさにもどっている。水の 輝き、水の匂い、水の感触。これがいつもの羽山橋渓谷。夏の間、ご苦労さん。
(9月7日)

【往還集121】38 「イノシシ」

山を目のまえにした畑。ジャガイモはイノシシにご馳走してしまった。

自分の畑は、車で十五分西へ走った閑静な場所にある。定年になって本気で耕しはじめて、七年。やっと土も肥えてきた。その分、ちょっとサボっただけで雑草 が繁茂する。有機農業とは雑草との戦い。いつしか雑草の胸を借りている気分になる。作物は、天候に左右されるが、手をかけたぶん立派に育ってくれる。その 点は、人間よりも正直だ。ところで今年は思いがけない異変が。ジャガイモの芽がのびはじめたので、芽掻きをしようと行ったら、すっかり食いつくされてい る。〈敵〉はすぐわかった。二分かれの蹄のあとが、無数にあったからだ。イノシシ。近所の農家の人に聞くと、この地区一帯がやられたという。サルはずいぶん駆除されたが、今度はイノシシ。夜中にファミリーでやってきて、鼻先でぐいぐい土を掘り起し、たらふく食べたにちがいない。悔しいには悔しい。が、どこか憎めない光景でもある。
(2011年9月6日)