【往還集124】14 書きのこさねば

「このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。」は、原民喜「夏の花」の一句。
震災に直面し、辛うじて生者側にのこされた表現者はまず「書きのこさねば」と思った。歌をやる人は「詠いのこさねば」と思った。佐藤成晃「地津震波」。佐藤氏は1937年生まれの「音」のベテラン歌人。女川の自宅で津波に遭い、波に足をとられそうになりながらも危機一髪で助かる。その体験をもとに、私家版としてまとめた。

「走れよと妻の背中を突き出してつんのめつた手で津波を掴む」
「生き死にを訊ねて歩く町角に相抱くありともしきまでに」
「五秒差に生かされて雑居の中に覚むどの神仏か我を救ひし」
「過去持たぬ一人の我を証明する紙一枚をおし頂きぬ」
「グールルにさらされてゐる家跡にコスモス二合の種撒き帰る」

なまなましく遭遇した体験の底の底から噴出することば、そして歌。その迫力のまえに立ち尽さざるをえない。
(2012年6月6日)