【往還集122】20「プロの看板」

 『震災歌集』の後味の悪さはまだのこっているが、もうよかろう。なにしろこちらは、いまもって心的外傷を抱えていて、あの日の映像や記事を目にしただけで涙が止まらない状態にある。
 だのに数日まえに、「短歌往来」11月号のインタビュー「『震災歌集』を問う」と、「夢座」167号の齋藤愼爾「生者と死者のほとり」を読んで、またぶり返してしまった。
 「表現は磨かない方がよろしい」と長谷川はいっている。この考えなら凡作を並べてもいいわけだ。
 だが齋藤の批判は凄まじい。「一読、失望は絶望に、次いで憤怒に変わった。ひどい歌集である。」
 私は、表現は磨かない方がいいとか、素人とプロを分ける必要がないという考えを全否定はしない。ただし、出版側は「長谷川櫂」という俳句プロを看板にし て、素人レベルの歌を時流に乗せて刊行した。このことは明らかではないか。単なる素人の歌なら企画出版など考えもしなかったろう。
(11月2日)