【往還集121】19「〈此処〉」

 結局、かわいいのはわが身とわが子だ。つい先日まで「東北は美しい」などと絶賛してみせた人も、いざとなれば田舎などは捨て去る。今回のみならず、昔の 昔から同じことは繰り返されてきた。私はといえば、ぎりぎりまで留まる覚悟はできている。去る人には「どうぞ、ご随意に」といいたい。「いいたい」だか ら、そこに意志が働く。どういう論理によって「ご随意に」といえるのか、完全決着していない。つまり悟りの境地に達していない。ただし、ことばに関してい えば、留まるべき〈此処〉があるかどうかは、大きな分かれ道だ。和合亮一氏の『詩の礫』が多くの人の共感を呼んだのは、「あなたにとって故郷とはどのよう なものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。」の一句があったからだ。逃亡しながらツイッターを発しても、読み手に届くことはない。「あな たに〈此処〉はありますか」これが、最初で最後の問いだと思う。
(2011年7月23日)