【往還集121】15「大川へ 5」

 卒業制作を含め、校舎全体を、3・11のモニュメントとして残したい。とはいえ、遺族からしたら、わが子の命を奪った痕跡を目にするのは、とてもつらい ことだろう。残したいと思うのは、圏外の者の望みだ。遺族が残したいという気持ちになるには、時間がかかる。しかし、その間に瓦礫として処理されてしまう かもしれない。現に何台もの重機とトラックが行き来し、処理に当たっている。いっぱいの子どもたちへ、そして殉職した先生たちへ「しずかに、おやすみくだ さい」と告げて、今日は帰るほかない。濃緑の岸辺、豊かな水、広大な空。美しい風景のなかを再び戻りながら、私は心に何かが芽生えたと感じた。3・11の 日、たまたま生き残る側に区分された自分は、喜びからはほど遠く、堆積する鬱を拭いかねていた。いつまでもそれではいけない、もっと前を向かなければ。大 川を後にしながら、心に兆した芽生えの感触は、それだった。
(2011年7月11日)