【往還集124】16 「はて知らずの記」

「はて知らずの記」・続 野川橋。熊が根橋のできていないときは、渓谷まで降りてこの橋を通った。斎藤茂吉も東京の斎藤家にいくときには、ここを通り、仙台駅から上京した。

正岡子規は『奥の細道』を意識しながら、明治26年7月から8月にかけてみちのくを旅した。病後のまだ不安定な時期で、しばしば難儀する。それでも上野–白河–郡山–福島–仙台–松島–楯岡–酒田–秋田–水沢のルートをたどった。それが「はて知らずの記」だ。
今日再読してみて、文語体のすばらしさにいつになく魅了された。
現在は短歌ですら口語体が主流になりつつある。漢文も文語も過去の産物だ。今後、貴重な、大きな文化財だったと気づくときが来るだろうか。気づいたとしても、もうとりかえしがつかない。
子規の文を、最上川のところから書き写してみる。

川幾曲舟幾転水緩なる時は舟徐ろに動きて油の上を滑るが如く瀬急なる処は波浪高く撃ち盤渦廻り流れて両岸の光景応接に暇あらず。

こういう文を自在に綴ることのできる時代があった。
以来100余年。
だのに、この瑞々しい名文よ。
(2012年6月23日)