【往還集124】10 立つといふこと

雨宮雅子『水の花』(角川書店)を読みながら、信仰のことを考えた。雨宮は50年籍をおいたキリスト教を離れる。その過程で抱え込む苦についてはすでに何度も歌にしている。私は子どもの日に覚えた、人間の存在について、生存についての難問に迷路状態に陥ってきた。信仰への道に入れば、理路を得られるのだなという瞬間をたびたび経験した。しかし〈神〉という概念が、どうしても身に合わなかった。
以後、難問は解決したわけでなく、未解決のまま自分自身を宙づり状態にしてきた。
雨宮の場合は入信してのち懐疑に苦しみ、離れるまでに多くの時間を要した。そのとき自在さを得ると同時に、改めて宙吊りの地点に身をおくことになったにちがいない。

「緑蔭よりわれが立ち来(こ)し籐(とう)の椅子空席なればひかり遊ばす」
「裸木となりし並木の謐(しづ)けきに厳然とあり立つといふこと」

『水の花』はこういう境地の歌を挿んでいる。
(2012年5月23日)