【往還集122】9「手紙は万年筆で・続」

 鷲尾はいう、パソコン全盛時代で、よく印刷された手紙はすっきりしているし、見た目もきれいだが、ビジネスライクな印象をまぬがれない、手書きは上手でなくても一所懸命書いたという雰囲気が出ると。
私はここを読んで、小中英之を懐かしく思い出した。彼は、どこで覚えたのか、さまざまな所作にこまやかで、口うるさかった。いつか会ったとき、腹にすえか ねたように、「編集者に封筒をホチキスで閉じてよこすのがいるんだよ、失礼だねえ」という。私信をセロテープで封印するのももってのほかと、付け加える。 小中にとっては、「手紙は万年筆」もあたりまえのことだったろう。実際彼の手紙は、字は下手だがインクを使用した。
こういうことに無神経だった自分、以来、ホチキス・セロテープ禁を守るようになった。さらに私信を送るときのパソコン禁も、近年付け加えた。こまかく、ささいなことなれど。
(10月13日)

【往還集122】8「手紙は万年筆で」

 鷲尾賢也『編集とはそのような仕事なのか』(トランスビュー)は、先輩編集者が後輩編集者を指南する、入門書かつ実用書の体裁をとった本だ—-と思って読 んだら、そのような域をこえた人間論また人間関係論でもあった。編集とはどういうものか、どういう心構えが必要かを直接には説いている。しかし「まず旺盛 な好奇心の持ち主でないといけない」「編集者に専門などない。素人の代表である」「自尊心が強く、プライドの高い人には向かない」になると、人間関係の在 り方を深く見据えていることがわかる。
そしてこれらは、編集のみならず、多くの面にも応用できる。原稿を依頼するときの心構え、「よい手紙は説得のための強力な、かつ確実な武器になる」も、経 験の積み重ねからきている。「手紙は万年筆で書きたいものだ」になると、さすがに細かすぎる気もするが、しかしここにも、たしかな経験が働いている。
(10月13日)

【往還集122】7「私は絶望している」

定禅寺通のケヤキ並木。手前の彫刻はウェナンツオ・コロチェッツティ作「水浴の女」。

 

 月2回、短歌講座を担当しているので街へ出る。定禅寺通に面したビルが会場だ。いつも少し早めに行って、ケヤキの下に憩う。大木と緑の繁茂がまっすぐにつづき、澄明な光が数限りなくこぼれ落ちる。神話の国へ迷い込んだよう。
「私は絶望している」いきなり、声がよみがえる。田中濯「ディアスポラ」(「短歌」11・10)。田中は盛岡在住の歌人。

フクシマにふたたびありし″離散(ディアスポラ)″さまよえるひと棄てられるひと

などの20首ののちに、「差別」の小文を置く。五山送り火の件から語りだし、差別は今後もつづくだろう、原爆被爆者の苦しみぬいた歴史が福島の若者に再び降りかかるだろうという。「私は絶望している」と端的に結語する。
私もまた絶望した。東電・科学者・政治家・遠隔地どれもがひどいものだった。
だが絶望のつぎには何がある?滅びるか出発するか、これしかない。
私は出発に賭けることにした。
(10月11日)

【往還集122】6「bot」

 パソコン世界に、bot(プログラムされた自動発言システム)があると、「鳥のさえずり」田中純(「ユリイカ」11・7)で、はじめてしった。田中は、 「春と修羅」の断片化された詩句が、震災直後の状況下で、強く共振したという。たとえば「わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ」「雨はけふはだいぢやう ぶふらない」など。そういわれてみると、賢治には現在を予感させるのがいっぱいある。 ちょうど同じ時期に読んだ岬多可子詩集『静かに、毀れている庭』(書肆山田)で、私も共振を体験した。

夜の飼育小屋で
たくさんの兎がしずかに混じり合っている             (兎)

たくさんの天使を死なせてきた気がするので
死んではいけない ということを
言おうとして 言えない
(底に置かれた手のひら)

わたしたちは
生き続けるために殺すのか
殺すために生き続けるのか
(その庭へ向かう径)

どれもこれも、とても切ない。
(10月10日)

【往還集122】5「サウイヘルモノニ」

 今回の震災で、万単位の死者が出たことの悔しさは容易に消えない。原発の人為によって人の心がずたずたになった悲しみも、簡単には慰撫できない。
仙台からも放射能の恐怖で脱出した人は何人もいる。脱出するとは、土地と人を捨てること。捨てた人、捨て去られた人の断層がいやでもできる。
だが「放射能てんでんこ」に追い詰めた真犯人は、まぎれもなく原発。この一点から、目をそらすわけにはいかない。小さい子をもつ人と話していると、「じつ は私も逃げてしまいたかったんです」と、大半がいう。準脱出者だ。だのに脱出者をこころよく思わないのは、準脱出者に多い。その気持ちもわからないわけで はない。
が、脱出者も相当のリスクを負っている。いつか状態が落ち着いて、また戻ってくるかもしれない。そのときは「ごくろうさん」の一言で迎えたい。サウイヘルモノニワタシハナリタイと、目下修行中である。
(10月9日)

【往還集122】4「生態圏」

 「生態圏を侵しながら生態圏を再生させる道」と書いとき、自分の頭にあったのは中沢新一『日本の大転換』(集英社文庫)の一節。つまり半分パクリだと、正直に告白しておく。

生態圏をただ収奪するのではなく、生態圏を甦らせることによって、人類ははじめて、地球上でほかの生き物を益する生き物となるであろう。

とある。
ついでにこの本が、衝撃的だったことも告白しておく。中沢氏は、今回の原発問題を境にして、日本文明が根底から転換をとげていかなければならないと語り出 す。原発は、生態圏の外部に属する物質現象からエネルギーを取り出す技術であり、人類に与えられた知性をもってしては根本の構造を変えることは不可能だと いう。
そういえば原発事故が起きたとき、有効な手を打つことができず、試行の連続だった。想定外だと弁明するが、じつは想定自体が不可能だったと、いまにしてわかった。
(10月8日)

【往還集122】3「宮沢賢治講座のこと・続」

 宮沢賢治といえば、「銀河鉄道の夜」と「風の又三郎」が代表作だが、最高傑作といえば「水仙月の四日」だ(と私は考えている)。 雪婆(ゆきば)んごの支配下にある雪童子(ゆきわらす)は、命令で赤毛布(あかけっと)の子供を殺そうとする。しかし「倒れてゐるんだよ。動いちやいけな い。動いちやいけないつたら。」と、殺す姿勢をとりながら、救おうとする。 ここに賢治が凝縮させているのは、人間の生存にかかわる問題だ。人間は動物や他の生命を奪わずに、生存できない。それならば、他を殺しながら生かす方法は ないか。この問いが「水仙月の四日」の根本にある。賢治自身が選んだのは菜食だが、作品自体は主義に限定されるわけではない。 今回の震災に遭って私に新たにみえてきたのは、生態圏を侵しながら生態圏を再生させる道はないか、万の死者を生かすにはどうしたらいいかーー。「水仙月の 四日」はそれらの問いまで射程距離に入れている。
(10月7日)

【往還集122】2「宮沢賢治講座のこと」

 仙台文学館ゼミナールで「宮沢賢治を読む」を担当するようになって、5年目。今年は「注文の多い料理店」と「水仙月の四日」をとりあげた。講師よりも受講 生のほうが熱心で、しかも知識も豊富だから楽ではない。今年は東京から毎回通う人もいて、恐縮してしまった。個人情報にひっかかるので名前は出せないが、 仮に「ひらり」の作者としておく。その人など皆勤で、しかもいつも一番前の席を陣取る。好奇心というか、向学心というか、じつに見上げたもの。こちらが すっかり刺激を受けた。 今年の講座、はじめは5〜6月にやる予定だった。しかし震災の影響で9〜10月に延期。ふたをあけてみたら、常連の海辺の町の何人かがいない。集まった人 のほとんども、なんらかの形で被害をうけている。で、どこか特別の雰囲気の、忘れがたい講座となった。きのう、「水仙月の四日」でしめくくり、本年度を終 了した。
(10月7日)

【往還集122】1「月山池」

月山池。紅葉にまだ早く、山の色も、水の色も沈んでいる。さざ波は静かに生まれ、広がっていく

久しぶりの湖。ここも震災とは無縁でない。月山池はサイカチ沼と隣り合う。両方を総称してサイカチ沼ということが多い。山道は秋保方面へと通じるが、途中 にがけ崩れがあって、通り抜けできなくなった。 今日は月山池の遊歩道をめぐる。夏の花もおわり、紅葉にもまだ早い山の色は、くすんだ緑。どことなく中途半端で、艶がない。その分、水はいつになく静か だ。こまやかな小波が、休みなく生まれ、広がり、岸へと寄せる。 湖は、いつきても不思議だ。腰をおろして、眺めているうちに、自分と湖の境が消えてしまう。伝承によく出てくる、あの感覚。湖は、春・夏・秋・冬の季節ご とに、いろいろな表情をみせてくれる。どれが一番好きかと問われたら、どれでもない、季節と季節のはざまとこたえよう。つまり今日のような中途半端な季 節。人間でいえば、少年から青年へ脱皮する途上の、変声期にあたる。
(2011年10月5日)