【往還集141】21 襟を正すも

岩手山

昨日は岩手大学農学部の附属農業教育資料館を会場に「地域創生フオーラム」。
愛子(あやし)から仙台に出、新幹線で盛岡へ。
完璧といってもいいほどの晴天。
童の日のようにウキウキして窓外を眺めつづけました。
西方には奥羽山脈が連なる。
山頂の残雪が、神秘的なまでに輝く。
最初に現れるひときわ大きい山は、栗駒山。築館(現栗原市)に育った家内は、この山をいつも懐かしむ。
つぎの大きな山は焼石連峰。これは自分が小さいころから慣れ親しんできた山。
そして盛岡に近づくにしたがって、車窓いっぱいを占めるのが岩手山。
その高さ、彫りの深さ、広々とした裾野は圧倒的。
石川啄木が

「汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも」
「ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」

と詠んだ気持ちがとてもよくわかる。
私もおのずと、襟を正したくなってきたのです。        
(2018年3月25日)

【往還集132】 140字偶感篇(1)「加藤楸邨」

2015年2月5日
加藤楸邨を読みたくなって、岩波文庫の句集を少しずつ開いている。解説で中村稔が「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」と、村野四郎の詩「さんたんたる鮟鱇」を比べて、楸邨に軍配をあげている。同感。あるものをあるがままに呈示することの底深さ、それが俳句だ。はてのない、暗黒の大宇宙になることもある。

【往還集128】26 荒浜

慰霊碑観音と、はるかかなたの大観音が向かい合っている。
長城のように築かれた防潮堤。
松の枝にかかったままの毛布。

晩秋の肌触りのしはじめた今日、久しぶりの荒浜へ。
海岸すぐ近くには、新しい防潮堤がまるで万里の長城のように伸びている。傷跡なお深い松林もどんどん掘り起こされ、整地されている。
住民がどこに、どのように移住するかもすっかり決まっていないのに、時間は容赦ない。進められるところから、工事は行われ、外堀は埋められていく。
道路沿いの敷地に家財を積み上げ、椅子にデンと座りつづける初老の人がいた。「こご此処はおれの土地だ、絶対売らない」と息巻いている。
荒れ果てた松林を歩いていて、一枚の毛布が枝に引っかかっているのを見つけた。白地に赤い花、そして緑の葉の模様。3年たつというのに、色の鮮やかなこと。
変りゆくもの、変わるまいとして必死のもの。
そして祈るほか、どうしようもない自分。テトラポッドに体当たりた波が砕け、のし上がり、渚へ寄せて、そのまま平らぐ。晩秋の海だ。
(2013年10月21日)