【往還集145】17 生年

私は結社に入っていないしどの歌人団体にも所属していない。歌の世界の傍流に位置しているだけですが、それでも多くの方々から歌集をいただき恐縮します。
刊行費用がいかほどかよくわかるので、可能なかぎり丁寧に目を通し、依頼があれば書評も書いてきました。
未知の方のは、まず「あとがき」と「略歴」を開きます。
そういうとき「生年」を伏せているのが特に女性に多いと気づきます。
何歳であるかを他人に隠したい気持ちはわかる。公表するかしないかも本人の自由。
しかし短歌の場合どういう時代に生まれ、成育したかは読解のためのヒントになることが多い。
作品と年齢は関係ないという立場もないわけではないが、短歌はその一般論が必ずしも当てはまらない。
それ以前に「隠す」という魂胆が、最近特にひっかかるのです。
というわけで、生年のない歌集の書評はやらないという原則を立てることにしました。
(2019年7月1日)

【往還集145】16 「残酷なほど新鮮な光景」

詩の同人誌に「左庭(さてい)」があります。
その42号の、山口賀代子「外科病棟 C308号室」にとりわけ引きつけられました。
詩の背景について山口さん自身が「つれづれ」に記しています。
先天性股関節変型症が辛くなり、21日間の入院・手術・リハビリをする。隣室には見舞客が来たらしく、笑い声が上る。自分も廊下に出たとき、客たちを目撃する。
その模様はつぎのように描かれます。

廊下へでると たくましい肉体の見舞客たちが
隣室からでてくるところでした
命漲らせ
若さを滴らせ
しずまりかえった外科病棟で
それは残酷なほど新鮮な光景なのでした

ここには病者側と見舞い者側の落差が、静かながら、鋭利にとらえられている。ベッドに仰臥している側からは、外来者が命漲らせている存在と映る。
こういう光景は病院に典型的に生じますが、ふだんの外界にも日常的にあるにちがいありません。
(2019年6月24日)

【往還集145】15 必死に

一昔の大学病院といえば、診察を待つだけで2時間強、薬の処方を待つだけで1時間強かかるといわれました。
今は予約さえしておけば20分前後待つだけ。しかも医師も看護師も、とても親切です。
検査や診察が終了すると会計をするため、ホールに戻ります。各科に散らばっていた人たちもそこに集合します。
その時、毛糸帽をかぶった人、車いすの人、点滴のままの人などさまざまな姿を見ることになります。
会計の窓口の私のまえには若いママが。2歳ぐらいの子をつれ、胸には乳児を抱っこしています。その乳児は口以外の顔面が透明のコルセット状のものですっかり覆われていました。
大勢の人が、生きよう、生かそうとして必死なのだ、それが病院という所なのだと胸がいっぱいになりました。
「このトシで通院39回とはきついけれど、自分も皆さんの仲間に入って挑戦してみようではないか」とはじめて思いました。
(2019年6月19日)

【往還集145】14 ここにも世界が

「往還集」前号に私の前立腺がんのことは書きました。
その後東北大学病院の泌尿器科で改めて診てもらい、IMRT(強度変調放射線療法)でやっていきましょうという方針になりました。
がんの部分に金マーカーを埋めこみ、39回通院して放射線を当てるという治療法です。 
思いがけず大きな総合病院へ行くことになりましたが、それは新たな世界へ足を踏み入れる気分でもありました。
診察を待つ間イスに座っていると、医師・看護師・患者のみならず事務員・掃除夫その他がつぎつぎと往来する。理容室・レストラン・コンビニ・ウイッグ店・郵便局などなどもある。
つまり、この建物ひとつに人間の世界が凝縮されている。
全くないのは、寺院・葬儀関係だけかも。

「そんなこと、当たりまえじゃないか、お前さんは患者として来ているのに、呑気に珍しがっている場合じゃないだろ

と、今わが身を叱ったところです。
(2019年6月19日)

【往還集145】13 『蜜蜂と遠雷』から

それは恩田陸作『蜜蜂と遠雷』。
この作品は国際ピアノコンクールを描いているのですが、まず何といってもこの分野への博識さには恐れ入ります。音楽音痴の自分など、ほぼ読み惚れるほかない。
「第一次予選」の章には、中国勢が登場する。

「中国勢は大陸的というのかスコンと抜けた大きさがある」
「うらやましいのは中国のコンテスタから受ける揺るぎない自己肯定感である」

こういう中国人像を、恩田さんもはっきりと描いている。
民族の歴史・文化・風土から生成された気質はやはりある。時代とともに変化する面は避けがたいにしても、また個々人に視点を移せば「揺るぎない自己肯定感」とは必ずしもいえないにしても、民族的気質はやはり根の部分に生きつづけているでしょう。
そういえば、日中戦争時に兵士として送られながら、中国人への畏敬の念を持ちつづけた人は、少なからずいた。
宮柊二もそのひとりでした。
(2019年5月25日)

【往還集145】12 中国人のイメージ

「イギリス人」といっても「ロシア人」といっても、個々を見れば、まちがいなく多様。 
だのにこのように記号化すればイメージが浮かびやすいことは確か。
けれどそれは差別につながることもあるから、要注意。
そんなことを考えていたときに加藤周一の「中国再訪」(『加藤周一自選集6』を読んでいて、目が釘付けになりました。

「中国を旅していて心地よいことの一つは、外国人に対して卑屈な中国人に出会うことが、ほとんど全くない」

「外国人に媚びる態度を決して示さないのは、おどろくべきことであり、見事というほかはない

と断言しているのです。
かの叡智の人加藤周一がいうのだから、たまたまの訪中を素材にした、単なる印象とは思えない。
この中国人像、いまの米国や日本政府のばらまこうとしているのとは、まるでちがうではありませんか。
さらにさらに、加藤周一説を補強する小説が出てきたではありませんか。
(2019年5月25日)

【往還集145】11 ロシア民謡

かつて日本ではロシア民謡が大ブームになり、若者たちも相当に親ロ的だったことを、いまのロシアの人も大統領も知らないのではなでしょうか。
学生になって仙台に住むようになったとき、コンパがはじまればロシア民謡、歌声喫茶もロシア民謡という具合で、私もかなり歌いまくりました。CD「懐かしの歌声喫茶」全8巻も手元に置いているほどです。
ただし、かねてからいまにいたるまで、「??」が消えない歌詞があるのです。
「仕事の歌」の2番。

イギリス人は利口だから
水や火などを使う
ロシア人は歌をうたい
自らなぐさめる

というのです。
イギリスでは産業革命のおかげで豊かになった、ロシアにはそんな発達もなかったから歌で元気づけ合ったということなのでしょう。 
けれど「イギリス人」「ロシア人」とか、一括りにしてイメージを作っていいのだろうかというのが私にのこりつづけてきた疑問です。
(2019年5月25日)

【往還集145】10 「平成万葉集」

平成から令和へ移るというので、新聞もテレビもまた出版物も「これでもかこれでもか」といわんばかりに特集を組んだ。
何だか、ひどく迷惑な感じでした。
NHKBSの「平成万葉集」もそういうなかの1つ。
これまた同じかと覚悟して見はじめましたが、なかなかの力作でした。
第1回「ふるさと」(4月17日放映)、
第2回「女と男」(4月24日)、
第3回「この国に生きる」(5月1日)。
いずれの場合もまともに現代短歌だけで勝負している。
選歌についてはさまざま不満があるにしても、ディレクターの力技がよく伝わってくる。朗読の生田斗真・吉岡里帆の自然な感じもよかった。
ただ1点違和感が消えなかったのは、朗読者が冊子でなく、タブレットを使いつづけたこと。
今や身辺によくある機器だからまあいいかとも思いますが、特に短歌や古典の朗読には、長方形の冷たい機器はどうも不似合いという気がします。
(2019年5月12日)

【往還集145】9 全歌集

歌人が亡くなると、これまでの歌集をまとめ、全歌集として刊行されることがあります。 
なかには存命中なのに「全歌集」と銘打つ人もいます。「今の今で〈全〉なのだから〈全〉でいい」などという理屈を聞いたことがありますが、どこか変。
やはり全歌集は当人の死後、全業績をまとめるという目的を持たせるのが自然です。
私はこれまで何冊もの全歌集を読んできて、今日も『稲葉京子全歌集』(短歌研究社)を読み終わったところ。
毎度のことながら1冊を閉じようとするとき、えもいわれぬ寂寥感に襲われます。
以後、この人の歌を読むことは永遠にない!
生前とりわけ親しかった歌人の場合この思いは、いっそう強くなります。
『永井陽子全歌集』
『小中英之全歌集』
『定本竹山広全歌集』
もそうでした。
「自分はもう少しこの世にいるから、それまではとりあえずさようならしておきます」と語りかけて、扉を閉じるのです。
(2019年5月11日)

【往還集145】8 踏みとどまる

これまで出会ってきたディレクターには、深い見識からしてまた精力的な仕事ぶりからして、こちらを感服させてくれる人がいました。
それゆえに上部からの理不尽な軋轢にはがまんならなかったのでしょう、見切りをつけて去った人もいます。
たとえばS氏・Oさん。
その報を知った時「この人にはのこっていてほしかった
という悔しさでいっぱいになります。
学校の教員の場合も同じで、組織のあまりの不条理に腹を立て、退職してしまう人を見てきました。
そういう自分も教員になりたてだったころ、生徒にではなく上層部にだけぺこぺこする体質にほとほと嫌気がさし、もう去ろうと真剣に考えたことがあります。
辛うじて自分を押し留めたのは、

「この場がいかに不条理だとしても生徒は簡単にやめるわけにはいかない、自分のようなものが踏みとどまっているだけでも何かの意味があるかもしれない

という思いでした。
(2019年5月4日)