居合道というのがあります。
藁人形をばっさり切る居合抜きとはちがいます。
居合道とは、武士の時代、刀の使い方を型として洗練させていったものです。
私はかねてより、日本刀に魅かれてきました。1点の曇りもない、純潔の極地としての輝き。
居合道入門の機会が訪れたのは、仙商勤務の30代のときでした。指導してくれる同僚がいたのです。
念願の真剣も手に入れました。
鞘からサッと抜き放ち立ち居をすると、真冬の冷え切った講堂でも汗ばんできます。
2段まで昇進したところで別の学校に転勤して離れてしまいましたが、今でも折々手入れをします。
ところで世の中、急に日本刀ブームというではありませんか。
刀剣展があると、長い行列ができる。
しかも8割が女性で、展示されている真剣をまえに、涙まで浮かべています。
ブームにはほとんど踊らされないたちの自分、この現象をどう解くべきか思案中です。
(2018年11月1日)
カテゴリー: 往還集143
【往還集143】49 戊辰戦争一五〇年・続
東北に派遣されたのは、長州藩士世良修蔵。彼は兵を率いて東名浜に上陸。
戦争回避の申し出も受け入れず、行く先々でやりたいほうだい。
殊に会津への怨恨は強く、徹底して攻めこもうとする。
あまりにも横柄な態度が反感を招き、ついに斬首されてしまう。
というわけで世良は、東北、特に会津地方では悪名高い。
私は何回か会津を訪れています。町内に保存されている旧家も見学したことがあります。そのとき主は
「会津では今でも長州の人間とは婚姻関係を持たない
と説明。
この恨みの深さにはおどろきました、世良はひどいが会津もなかなかなものだなあと。
現在も長州嫌いが〈伝統〉になっているのかどうか。
世良の肖像に向って吐き捨てた90翁、もしかしたら父か祖父が、戦争の犠牲者だったのかも。
ちなみに児童文学の先駆者(『小公子』の翻訳者)若松賤子(しずこ)も幼くして会津の戦乱を目撃しています。
(2018年10月31日)
【往還集143】48 戊辰戦争一五〇年
私の隣りにいるのは、90歳ほどの帽子の男性でした。
展示物を見ながらゆっくりと移動していきます。
武士の肖像のコーナーに来ました。
「こいつはいやなやつだ!きらいだ!」
いきなり低声ながら、吐き捨てるようにいい、つぎへ移っていったのです。
仙台博物館で開催中の特別展「戊辰(ぼしん)戦争一五〇年」。
吐き捨てられるほどの肖像とは誰か。
それは、長州藩士世良(せら)修蔵。
戊辰戦争とは何であったかを語りはじめたら「往還集」の範囲を超えてしまいますから、ごくかいつまんでーー。
江戸時代の末期、幕府軍と新政府軍は対立し、何度も戦乱状態になります。
この間の情勢は、きわめて複雑。
新政府軍が有利になり、東北へと攻めてきます。
とりわけ長州藩と対決したことのある会津藩は目の敵にされました。
東北の藩は列藩同盟を結んで戦になるのを止めようとしますが、新政府軍は手をゆるめようとはしない。
(2018年10月30日)
【往還集143】47 青春という概念
「39」に短歌の話題は「往還集」からはずすと書きましたが印象にのこったことはやはり書いていきます。
第61回短歌研究新人賞が9月号に発表になりました。受賞者は工藤吉生と川谷ふじの。
川谷さんの「受賞のことば」を読んでからずっと気にかかっていました。
高校3年生での受賞。
「青春の感じがよく出ていて」の反応に
「諦めのような気持と悔しさでたまらなくなりました」
「私は青春という概念が嫌いです」
とある。
私はこの反応が痛いほどにわかるのです。高校生といえば青春まっただ中、女学生といえば制服とミニスカ。
そういう外部からのイメージに対して、現にそこに置かれている自分自身はいかに〈別物〉であるかを川谷さんは語っています。
だのに、青春の記号をどこかで利用しようとすることの矛盾と嫌悪も隠しません。
「受賞のことば」は、儀礼的言辞を排して本音を記した〈作品〉でもありました。
(2018年10月24日)
【往還集143】46 季節の移ろい・続
彼は俳句の作り手でもありました。全句集にはいくつもの秀句が並んでいます。
私は彼の思想と行動には賛意を覚えませんが、いかなる人間であっても、文学表現をまえにしては一切が平等であるというのが、基本態度です。
彼は「あとがき」に書いています。
「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直截的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、寒暖の差によってしか季節の変化を感じられないからかもしれません。あるいはまた、獄外で過した時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか。」
私は思うのです、季節の移ろいがふんだんにあるのでなく、ごくごく限定されていたからこそ、鋭く、そして豊かに感応されたのではないかと。
(2018年10月24日)
【往還集143】45 季節の移ろい
旅らしい旅をめったにしなくなりました。行動半径は年々狭くなり、家にこもる方が多いくらいです。
そのせいでしょうか、季節の移ろいが庭の空気をとおして、窓外の陽や雲をとおして、また近辺の草木の変化をとおして、これまで以上に身に沁みて感じられます。
車で遠方まで走り回り、行動半径の広かった日よりも、濃密になったとすら思います。
こういう今の生活をつきつめれば、部屋にこもり、高窓からわずかの外を見るという形になるでしょう。
もしそうなったら季節への感度が鈍るかどうかといえば、逆にちがいありません。
大道寺将司全句集『棺一基』(太田出版)を読んだとき、「まさに、まさに」と納得するところがありました。
彼は元東アジア武装戦線の一員、連続企業爆破事件で逮捕され死刑囚となった人です。結局死刑を待たずに、2010年に病死してしまいました。
彼の外部とのつながりは獄窓でした。
(2018年10月24日)
【往還集143】44 「心から」「おもしろい」
私の気になるのは外来語だけではありません。
歌を作る人ならことばにもっと繊細であってほしいのに、この頃いやに目立つ2語がある。
それは「心から」と「おもしろい」。
「心から」は特に東日本大震災以後多くなり、
「心からお見舞いもうしあげます」
「心より悼みます」
という具合に使われる。
政治家はさらに常套語として口にする。
「心から」という人にかぎって、心から思っていない。
「おもしろい」は短歌の評によく使われます。
「歌集を読んでおもしろかった」
「今度の作品はおもしろい
という具合に。
「おもしろい」「おもしろかった」は感想ではあっても批評とはいえない。「おもしろかった」のなら、どこに魅力の根源があるのかを解くのが評というもの。うまくことばが見つからないからとりあえずほめておく気持ちはわかるが、それは評ではない。
というわけで私は「おもしろい」を評として使わないようにしています。
(2018年10月22日)
【往還集143】43 「アンバサダー」
カタカナ語を使うのは、ある程度しかたがない。日本語にはない概念もあるから。
しかし、むやみやたらにカタカナ語を使って新しがり、得意がる人もいる。「こんなコトバもわからないのか」とさげすんでいる顔が見えるーーとこちらは被害妄想的になる。
私はカタカナ語の使用は最小限にとどめようと心がけてきました。
最近特に、どうにもこうにもイヤな気持ちになったのは「アンバサダー」。大使、使節の意味だとカタカナ語辞典を調べてわかったのですが、なぜわざわざ曲芸じみた語を使わなければならないのか、私には納得できない。
と、ここで思い浮かべるのは岡崎康行氏の『良寛の歌私稿 母の海』(短歌新聞社)です。彼はこの本を書くにあたって、外来語やカタカナ語をできるだけ使わないという方針を立て、実行しました。
それでなにか不足が生じたか?
とんでもない、良寛論としても出色の1冊となりました。
(2018年10月21日)
【往還集143】42 東北農民の血が
夏の猛暑つづき、秋の悪天候つづき。
今日やっと晴れ上がったので畑へ行ってきました。仙台郊外ながら山際には田園が広がり、里山の雰囲気が生きています。ここに立つと、いつも心身が洗い清められます。
畑をはじめたときは痩せ土でしたが、15年間肥料を施すうちにやっと肥えてきました。「畑土になるには10年かかる」とプロの農業者にいわれたとおりでした。
さて、今日はサトイモを全部収穫しました。近くの農家の方の話では、イノシシがジャガイモもサトイモも食いまくったとのこと。それを聞いていたのでマルチを施しました。効果があったのでしょうか、掘り返されずにすみました。
作業を終え周辺の山を眺めながら、ボトルの水を飲むときの充足感。
まぎれもなく東北農民の血が流れている、と思う瞬間です。
父親の実家は水沢の農家で、子ども時代からよく泊まりに行っては土に親しんできましたから。
(2018年10月18日)
【往還集143】41 いずみオッチエンコール
正式の名称は「男声合唱団 いずみオツチエンコール」。
その第8回演奏会に行ってきました。
すべて男性、しかも平均年齢77歳と聞けば「エッ、大丈夫なの?声は出るの?
と不安を覚えるのも無理はありません。
ところがステージがはじまったとたん、男声合唱ならではの重厚さ、それでいて艶もある声。たちまち圧倒されました。
発足は2001年4月、9名でスタートして18年目、現在は54名の団員です。すでに各地で公演を重ね、2006年にはイタリアにまで遠征しています。
今回のプログラムは童謡・唱歌にはじまり、最後は組曲「水のいのち」全5曲への挑戦。途中小休止を入れながらも、2時間近くを歌い切りました。満員の会場からは大拍手がやまない。
「こちらもまだまだへたばってはいられないぞ
と力づけられた思い。
団員には高校時代の同級生、初任校の同僚もいます。同世代がかくも輝いていました。
(2018年10月6日)