【往還集136】40 18歳選挙権

2016年9月7日
今年の参議院選挙から18歳以上が選挙権を行使できるようになりました。
18歳といえば高校3年生も入る。若い世代が自分たちの意見を国政に反映させることは勿論いいことです。
けれど、どうも奇妙なことになっている。投票権を行使することは、選管も、マスコミも、おおいにすすめている。とはいえ最重要課題は〈誰に〉〈どういう政策に〉投票するかなのに、そこがすっぽり抜けている。
「どこに行くかわからないけれど、とにかく列車に乗りなさい」といっているようなもの。
学校でも、教えられるのは投票の意義と投票の仕方まで。どの政党がどういう考えを持っているかまでは、はっきりといえない。
なにしろ「平和国家」「平和憲法」を教師が口にするだけで、行政はじろっとにらむ。

「みんなで協力して平和なクラスにしよう」

と教室に標語を掲げることすらご法度になりつつある。
こういう奇妙なことが、進行中です。

【往還集136】39 事は静かに

2016年9月6日
全国版にはもう載ることのない記事があります。
放射能検査が継続されていて、その結果が地方版には「不検出」「検出」として発表されます。
この頃は紙面の片隅になりましたが、原発事故のその後を知るうえで大事なことには変わりありません。
「検出」にはイノシシ、ツキノワグマ、シカなど動物の名があいかわらず出てくる。
これはあくまで検査に出したもの。きっとだめなもの、たとえばキノコをはじめとする山菜類は最初から提出しないこともあります。 
つまり山も土壌も5年たっても、汚染されている。
町内が除染されて帰還解除になったとしても山は手のつけようがない。
そればかりか人体への影響もこれから出てくるかも知れない。
だのにマスコミ報道は静かになり、被災地の声もなかなか上がりにくい。
それは解決に近づいたからではない。
事は静かに進んでいる。
この静けさに〈いま〉があると私は思っています。

【往還集136】38 その後

2016年9月2日
仙台に地下鉄東西線が開通したのは去年の12月6日。この路線を使う用はないのですが、どんなものかと終点「荒井」まで乗ってきました。
駅の東方には高速道路がつづく。
津波はここで遮られた。
駅の1、2階には「せんだい3・11メモリアル交流館」があり、大震災のさまざまな資料が展示されている。
5年もたつと「あった」ことさえとかく忘れているのですが、展示をまえにすると「その後を生きている」ことに気づき、改めて慟哭を覚えるのです。
私は松浦寿輝「afterward-2011・3・11」のフレイズを思い浮かべます。
フランスの知り合いに「その前」と「その後」に分断されているのになぜ平静でいられるのかと問われた、その応えです。

「なぜなら「その後」をなおわたしたちは/生きつづけなければならないから/悲嘆も恐怖もこころの底に沈んで/今はそこで 固くこごっている」

というのです。

【往還集136】37 飛行機・続

2016年8月31日
かつて同僚に飛行機恐怖症がいました。スポーツをよくやる元気な人なのに飛行機だけは絶対ダメ。
広島へ修学旅行に行くとき、仙台空港発着のコースを組みましたが、彼だけは新幹線を使いました。
私にもその気持ちがわからないわけではない。
一番の怖れは〈墜落すればほぼ全滅〉にある。
この件に関して、東京の叔父の説が忘れられません。

「スチュワーデスに美人をそろえるのは、乗客に〈死ぬときは一緒〉という安心感を与えるためなんだよ」

なるほどと納得した自分、その説を妻に告げたら、

「それは男のいい分、女の客はどうなのよ」
と反論されてしまいました。
「機長にイケメンをそろえて、出発時に機内放映してはどうか、あの人となら死んでもいいわと思う女性が出てこないとも限らない」がこちらの案。
けれどほとんどの人は、誰とだって死にたくはない、離陸したとたん、わが運を天にまかせるほかないのです。

【往還集136】36 飛行機

2016年8月31日
「朝日」の連載小説に綿矢りさ「私をくいとめて」があります。
その8月27日付に飛行機についての興味深い描写が。

「飛行機に乗り始めのころ、落ちる落ちないは別として、上空1万メートルの場所にいて、ものすごい速度で移動しているのにもかかわらず、まるで地上にいるかのように食事をしたり、映画を見たり、毛布にくるまれて眠ったりするのが受けつけられなかった。しらじらしい小芝居を見せつけられているようで、本当は平気じゃないくせに!と叫びたくなる。」

引用はここまでにします。
私も人並みに何度も飛行機に乗り、いつの間にか慣れが生じてきましたが、はじめのころ「しらじらしい小芝居」を感じたことがあります。
地上を離れて雲上に出、平行飛行に移ると、まるでふつうの生活を営んでいるような感覚になる。
けれど気流の乱れに入ったりすると、ここは機上である!と覚醒してしまうのです。

【往還集136】35 オリンピック余見

2016年8月30日
余聞ということばはありますが余見はあるかどうか。ないなら造語ということで。
リオオリンピックをテレビで観戦しながら、私の目はあらぬところへ行きます。
それは男性の腋の下。体操や水泳では脱毛している選手が半分に近づいてきました。
女性の場合、東独健在の時代までは無脱毛がいました。今や100%つるつる(現在は腋の下のみならず陰部にも及びVIOの用語さえ生まれています)。
髭、腋毛、脛毛、胸毛、それらは男性のシンボルですらありました。
ところが徐々に変化が生じたのです。
私は13年まえまで高校の水泳部の顧問をしていましたが、全国大会級の選手になると脛の脱毛がはじまっていました。
最初はペロンとして気持ち悪かったのですが、いつしかウジャウジャのムダ毛のほうが不気味になってきたのです。
この勝手な感性の変化。
毛は自分を決して「ムダ」と思っていないのにと同情しつつ。

【往還集136】34 むのたけじさん

2016年8月22日
むのたけじ(本名武野武治)さんが昨日逝去されました。
101歳とは立派なもの。
宮沢賢治学会のイーハトーブ賞を受賞されたのは2012年。
当時私は選考委員を務めていましたので、授賞式当日、花巻まで来てくれたむのさんに挨拶しました。
100歳に手の届く年齢というのに、凛凛たる発声。頭脳も明晰です。
むのさんには新書版の『詞集たいまつ』があります。
仙台商業高校在勤ときのことですが、勉強に興味を示さない生徒が多く、授業も成り立たない状態でした。
そのとき図書館に『詞集たいまつ』を50冊入れてもらい、教室に運んでは書写するという授業をやりました。

「這いつくばっても、生きねばならないときがある。這って生きるよりも、立って死なねばならないときがある。」

こういう短文がいっぱい。
生徒たちは生まれ変わったように、シーンとして書写するのです。むのさんの筆力のおかげでした。

【往還集136】33 仙台、

八木山動物園と荒井を結ぶ地下鉄が広瀬川を通っていく。

2016年8月18日
青春の地といえば、私にとっては仙台の川内が第1。
学生になった1961年つまり60年安保の終焉した翌年、仙台に来てまず下宿したのが川内の山屋敷。
校舎もその一帯。
広々とした芝生のなかに、白い瀟洒な建物が点在している。講義が終るたびに別の棟へ移動する。
つまりそれは元々駐留軍の住まいで、引き上げたあとを大学が使っていたのです。見かけの瀟洒さとはちがって、夏には暑く冬には寒い、安っぽい建物でした。
しかしなにはともあれ、講義、部活動、学生運動などなどの主舞台です。
ところが55年の歳月は、川内を一変させました。
青葉城や植物園の緑はそのままながら、大きな国際センターができ、地下鉄東西線も開通し、まるで近代都市にまぎれこんだ気分です。
今日、国際センター駅へ行き、二階レストランでコーヒーをのみながらあまりの変貌ぶりに、ひどく、しかし静かに感傷してきたのでした。

【往還集136】32 小紋潤『蜜の大地』(ながらみ書房)

2016年8月12日
東京を去ってからの小紋氏の詳しい動向を、私は知らずにきました。故冨士田元彦経営の雁書館の
編集者だったのですが、書館が廃止になり、郷里長崎へ帰って以後、音信もなく過ぎてきました。
その小紋氏の新歌集を受けとり、たちまち引きつけられました。

「死に至ることなき孤立 蒼然と佇ちをる楡のまぎれなき生」
「苦しみは炎の象(かたち) 崩れゆく予感の中に耐へてゐたれば」

これらからは、精神のぎりぎりの痛みが伝わってきます。
けれど、

「神神の宿りたまへる大樟の真下にいこふ乳母車あり」
「生きて識ること多ければ一日の終りに開く合歓の花あり」
「見下せばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ」

などには、生への限りないやさしさがあり、深い祈りもあります。
歌集を編んだ谷岡亜紀氏の「『蜜の大地』覚書」によると、腰痛悪化や脳梗塞以後療養生活に近い毎日を送っておられるとのこと。
再起されんことを。

【往還集136】31 手仕事

仙台七夕の飾りつけ 「ノーモアヒロシマナガサキ」の手作りの折り鶴。

2016年8月11日
短歌結社誌「コスモス」に片柳草生(かたやなぎくさふ)さんが「道具さんぽ」を連載しています。手仕事によるさまざまな道具をとりあげたエッセイです。
毎号楽しみに拝読しながら、よくネタがつきないものだなあと感服するのです。
なぜこんなにも、手仕事が好きなのか、『手仕事の生活道具たち』(晶文社)の「あとがき」にすでに書いています。作り手の取材体験を重ねているうちに、

「素敵なものや力あるものには、必ずや、その人が映し出されている」

と実感するようになったと。
いかにも、いかにも。
機械で大量生産したものとちがって、手仕事品には作り手の〈人間〉がこもり、いつしか〈力〉となる。
仙台の夏といえば七夕。人の目を引きつけ、感銘を与えるのは、ただ美しいものではない、たっぷりと時間をかけた、手仕事による吹き流しです。
今年もデジカメにおさめてきました。その一端をどうぞご覧ください。