新型コロナウイルスは高齢者を重症化させる、だから介護施設などはよほど注意していかなければならないーこれが蓮舫さんの指摘。
そのときのヤジを〈翻訳〉すれば「高齢者は歩き回らないから感染の心配はない」です。
この「歩かない」を「立たない」と聞きちがえたことが思い出され、我ながらあきれると同時に、おかしくさえなるのです。
どちらも「移動しない」
の意味では変わりない。
しかしその高齢者が男性の場合、「立たない」は、性的存在としての〈男性〉を終えたことも含意します。
もしこの二重性を持たせたとしたなら、これはたぐいまれなる傑作コピーとなったことでしょう。
ちなみに私は、前立腺がんを治療してきて、副作用のため〈男性〉を卒業しつつあります。その実感をいえば、生を引き継ぐ路線から脱落しようとする寂寥と同時に、性的存在からやっと解き放たれようとする、この上ない自由感です。
(2020年3月17日)
投稿者: 路上発行所の管理者です。
【往還集147】9 流行語大賞候補
今年の流行語大賞は「濃厚接触」で決まりだなと勝手に予備選考したその矢先、さらに上回る候補が出現した。それは
「高齢者は立たないからいい」
ところがこれは、このごろ聴力の弱ってきた自分の勘違いで、正しくは
「高齢者は歩かないからいい」
でした。
事は3月2日の参院予算委員会。蓮舫さんの質疑中に某自民議員が発したヤジが発端です。
その中継を私も見ていました。いきなりのヤジに蓮舫さんがきっとふり返って抗議。
このシーンを目撃したというのに、私の耳が勝手に「高齢者は立たないからいい」と受信してしまったのです。
そもそも私はどんな人であれ、失言についてはかなり寛容です。心の底にあるから飛び出した本音―だとしても、それをもとに徹底追及するやり方は、与党であれ野党であれ、気持ちいいものではない。むしろ笑いに転化して、やり返すぐらいのゆとりがほしいとさえ思ってきました。
(2020年3月17日)
【往還集147】8 大相撲
目下大相撲大阪場所。
私はまだテレビのないラジオの時代、双葉山・栃錦・若の花・鏡里・朝潮などなどに夢中になった世代です。
それだけに相撲界に問題が生じて放送中止になったときは残念でしかたありませんでした。
時代がちがうのだから力士だけに伝統を求めるのは無理。それはわかっている、しかし単なる興行でなく、神事の要素もある、そこまで消えてほしくないと思っていました。
図らずも、無観客ではじまった大阪場所に実現したのです。
これまでは館内いっぱいの観覧者がテレビ画面に映りました。そのなかに内館牧子さんを見つけたりすると、こちらまで盛り上がりました。
ところが今度はしーんと張りつめた静寂。土俵の土の割れ目もはっきり見える。そして呼び出しや行司の透徹した声。土俵の塩の色彩の鮮やかさ。そして最後の弓取り式。これこそが神事にふさわしいと、改めて思わせてくれるのでした。
(2020年3月17日)
【往還集147】7 海
この作品は、ペストが蔓延し、外部と遮断された都市で悪戦苦闘する医師リウーが主人公。コロナ騒動になってからすぐに思い起こしたのは、驚くばかりに近似しているからです。
私がこの1冊のなかで鮮やかに記憶しているのは、ペストとの苦闘の最中、同僚のタルーと海へ泳ぎに行く場面です。新潮文庫、宮崎峯雄訳(382頁)から引用します。
「リウーは仰向けになり、いちめん月と星影ばかりの空にさかさまに相対して、じっと身を動かさずにいた。彼はゆっくりと息を吸った。次いで、次第にますます明瞭に、夜の静寂と寂寥のなかで異様にはっきりした、水を打つ音を聞きとった。タルーが近づいて来、やがてその息づかいまで聞こえるようになった。リウーは向き直り、友と同じ線に並び、同じリズムで泳ぎ出した。タルーは彼よりも力強く進んで行き、彼は調子を早めねばならなかった。
(2020年3月16日)
【往還集147】6 医師リウー
目下のコロナ騒動は、日本脱出が最良の方法でないことを思わせてくれます。
なぜなら中国・韓国のみならず欧米にも広がり、いうなれば「どこへ行っても無駄」だからです。
それならば自分の足場で知恵を出し合い、踏ん張ろうということになります。自分だけはなんとか生きのびようと、右往左往する人はいるかもしれない(そういう人はいつだっている)。同時に〈此処〉を踏ん張り抜こうとする人の存在を私は信じることができる。
コロナ騒動が高まってきたとき、脳裏に浮かんだのはカミュの『ペスト』です。
最初に読んだのはいつだったかはっきりしませんが、歌人岡井隆がきっかけだったことは、確かです。
当時壮年医師でもあった岡井氏が、自分を『ペスト』の主人公医師リウーに重ね合わせたことがあります。「隆」は「たかし」ですが「りゆう」とも読みますから。岡井ファンの私は原作を手にしました。
(2020年3月16日)
【往還集147】5 世界人
藤原作品についてもう少し付け加えます。
「パソコンの起動音こそ恩寵ぞ」
とは、船や飛行機で脱出しなくても、パソコンを起動させれば一気に国境を越えて世界人になれるという意味です。
しかしそれで本当に国籍にとらわれない自由人になれるかどうかといえば、そうはいかない。この割り切れなさを現代人はいやおうなく負っているというところに藤原の問題意識はあります。
私自身をふり返ってみると、左翼青年だったころは〈祖国〉を呪い、「日本脱出したし」派でした。しかし年齢とともに、どこに行ってもそれぞれの問題がある、幸福だけの国は存在しない、そうであるならたまたま生まれ落ちた〈此処〉を見据えようではないかという気持ちになってきました。
春夏秋冬の折々に「かけがえのない風土」(毎週月曜日BS日テレ放送のコーラス「フォレスタ」のことば)も見出し、親和するようにもなってきたのです。
(2020年3月15日)
【往還集147】4 「日本脱出!」
というわけで、目下のとんでもない事態の進行と長期政権の危うさを慨嘆しつづけてきましたが、「往還集」はそれに留まっていてはならない、今まさに立ち会っている一人間として、内外に起きている事柄の深部へ耳を澄ましていきたいのです。
藤原龍一郎新歌集『202X』(六花書林)を読み終わったところです。
彼は韻律としての美質の方向をとらず、情況に対してまともに対峙しながらも諷刺化・戯画化する姿勢をとってきました。そのなかの1首。
「パソコンの起動音こそ恩寵ぞ「日本脱出!」したし今こそ」
塚本邦雄の
「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」
を踏まえています。「日本脱出したし」とは、こんな貧相な国など抜け出して他国へ亡命したいという、塚本の戦後日本への思いがこめられている。
藤原氏もまた近年の〈祖国〉に対して呪詛に近い感情を抱きつつ風刺精神を作動させたのです。
(2020年3月15日)
【往還集147】3 改正特措法
新型コロナ改正特措法がほとんどの野党も抱きこんで、あれあれという間に可決されました。
「国民の生命、健康に著しく重大な被害を与える恐れ
「全国的かつ急速な蔓延により国民生活、国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れ」
がある場合という条件はあるものの、事によっては個人の行動も私有財産も制限される。
これは軍国主義時代の再来ともなりかねない。
実際に発動するときは、専門家による諮問会議、国会への報告などのしばりはあるとはいうものの、これまでやってきた安倍流の「解釈変更
がまかり通る危険性はあります。
一体全体、この国はいつの間にこんな状態になったのだろうと、大いに慨嘆してしまいます。
けれど総選挙のたびに安倍政権は大勝する。つまり国民の大半が「安倍さんでいいよ」「ほかにいないからしかたないよ」と意志表明してきたのです。この反論には、グーの音も出ないまま来たのです。
(2020年3月14日)
【往還集147】2 このもやもやしたもの
新型コロナウイルス情報が日々届けられる直前まで、香港のデモが何度も話題となっていました。
ところがコロナが浮上したとたん、パタッと消えてしまい、この問題一色となりました。
一般民たるこちらには、わからないことがあまりにも多い。大型クルーズ船はアメリカの会社が所有、船長はイギリス人という。
それならなぜ会社の責任者は対応しないのか、船長が顔を見せないのはなぜか、横須賀には米軍基地があるのになぜ同国人を保護しようとしないのか、日本にも感染者が広がろうとしているのになぜ迅速に検査体制を整えないのか。
国会中継やニュース番組を何度見ても、あれこれが釈然としない。
そんなもやもやがつづいていたある日、全くいきなり「自粛要請
が飛び出したのです。しかも文書改ざんやら、機密法案やら、桜を観る会やらで、まともではないことを連発してきた、安倍総理自身の、同じ口から。
(2020年2月28日)
【往還集147】1 〈戒厳令〉
昨日2月27日、安倍晋三総理は新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、全国の小中高、特別支援学校を休校すると発表しました。その前日にはスポーツや各種イベントの自粛要請も出しています。
この措置は閣議を通したのではない、国会の了承も得ていない、ほぼ独断発表です。
とっさに脳裏に浮かんだのは、〈戒厳令〉1語でした。
中国湖北省にはじまり、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号でも蔓延しはじめたことは情報として日々届いています。「往還集」前号でも当然とりあげるべきことでしたが、すでに校正の段階に入っていたためかないませんでした。
そこで今号ではまず冒頭にとりあげます。〈戒厳令〉はもしかしたら感染防止のために効果があるかもしれない、しかし近年まれに見る危うさをはらんでいることも否定できない、それはずばり、安倍晋三政権による〈戒厳令〉だから。
(2020年2月28日)