【往還集146】16 賢治の姿

古川女子高校に勤務していた5年間、小牛田駅近くにアパートを見つけてそこから通勤しました。
短い期間でしたが、自分にとっては新婚の地、長男出生の地、さらに同僚や生徒との交流も濃密な、忘れがたい町です。
宮沢賢治研究も、この地で本格的にはじめました。
小牛田にはかつて財団法人斎藤報恩館がありました。東北砕石工場技師となった賢治はここに何度か足を運んでいます。
当時の館長が盛岡高農の先輩だったので、宣伝を兼ねての訪問です。
徒歩なら駅から40分ほどの行程。
私も何度か歩いてみました。
そうしているうちに賢治の姿に出会う気さえしてきました。
児童出版社から賢治伝の依頼が来たときも、その時代を詳しく描写しました。
しかし偉人とは程遠いみじめな時代。出版社の意図とは大きくかけ離れていたのでしょう、200枚ほどの原稿は没に。
以後どこに閉まったものか、今も見つかりません。
(2019年9月20日)