武田氏のいう「とんでもないことが内外に起きそうで不安でしかたがない」に同感するところがあります。
ただしそれほど神経症的にはなっていない。なぜだろうと思案してみたのですが、どうやら東日本大震災とその後のがん体験との遭遇が関係しているようなのです。
つまり「とんでもないこと」はすでに起き、ことに原発問題はなお未解決、そのうえ生命の終焉に結びつくがん細胞を自ら内胎させたこと。
加藤周一が「サルトル私見」で「歴史の過程と人生の一回性」というサルトルの課題を提起していましたが、このふたつの軸の交点に身をもって立ち合っているようなのです。
「いったい、なにをいわんとしているのだ?
と読者は不審がられるでしょう。私自身、交点に立ち合っている自分を語ることばが、どうもうまく手にできていない。
これから少しずつでも、作品やエッセイに表現できれば、と思っています。
(2019年9月8日)