「イギリス人」といっても「ロシア人」といっても、個々を見れば、まちがいなく多様。
だのにこのように記号化すればイメージが浮かびやすいことは確か。
けれどそれは差別につながることもあるから、要注意。
そんなことを考えていたときに加藤周一の「中国再訪」(『加藤周一自選集6』を読んでいて、目が釘付けになりました。
「中国を旅していて心地よいことの一つは、外国人に対して卑屈な中国人に出会うことが、ほとんど全くない」
「外国人に媚びる態度を決して示さないのは、おどろくべきことであり、見事というほかはない
と断言しているのです。
かの叡智の人加藤周一がいうのだから、たまたまの訪中を素材にした、単なる印象とは思えない。
この中国人像、いまの米国や日本政府のばらまこうとしているのとは、まるでちがうではありませんか。
さらにさらに、加藤周一説を補強する小説が出てきたではありませんか。
(2019年5月25日)