早暁に起き、和紙を広げ、古典を書写する、しかも50数年間ほぼ毎日――などというと、禁欲的な修行僧をイメージする人が多いのですが、いえ、いえそんなことはありません。
早起きは幼児からの習い。
書写といっても20~30分程度。小鳥の声を聞きながら筆を滑らせるのは、ごく自然の呼吸法です。
それに特定の宗教、ましてや宗派を持たない私にとってはどの僧も哲学者と同じ。
道元書写をはじめて日蓮に行き着くまでに11年かかりましたが、この間に旧約・新約も再読していますから、信仰上ではほぼめちゃくちゃ。
けれど、好悪なしに宗教書に向き合っていると、極点においては神も仏も共通していると気づかされることがあります。
そういう場面に遭遇すると、大きな歓びすら感じます。
さて賢治がなぜ『法華経』に熱中したのか、私には長い間、どうしてもナゾでした。今からそろっそろっと足を進めてみます。
(2019年3月26日)