何首かあげてみます。( )は私訳。
「わらはべの手をのがれこし蝶ならむはね破(やぶれ)ても飛(とぶ)がかなしき」(子どもの手から逃げてきた蝶だろうか、羽が破れてもなお飛ぼうとしている、なんと痛々しいこと。)
「おやなけば子さへなくなり世の中のせむすべなさも何もしらずて」(貧窮のあまり親が泣いている、それにつられて子どもまで泣いている、この世の中をどうしたらいいのか何も知らないで。)
「はてもなき山のすそのゝすゝき原とほくゆけるは夕日のみして」
「さをしかのとほざかりゆくかげさへもはてはなくなる山のほそ道」
後者2首はとなり合っている歌です。広々としたススキ野の夕日、そのなかを走りやがては消えていく鹿が詠まれています。宮沢賢治の童話作品「鹿踊りのはじまり」のラストシーンそのものではありませんか。
このような清新な作品を作る歌人が、江戸末期には出現していたのです。
(2018年11月29日)