吉本隆明は『最後の親鸞』(春秋社)で、和讃の性格は
「〈非詩〉的である」
とズバリいっています。また
「親鸞の和讃には、人間の生死の無常を詩的に色揚げするというモチーフはまったくといっていいほどあらわれなかった。その根柢にあるのは、現世の憂苦も愛憐も諍闘も、すすんで俗にしたがって受け入れ、そこに身をおくことが浄土への超出の契機だというかんがえであった。」
とも説かれています。
ここにヒントがあるように思われます。「俗にしたがって受け入れ」る方向をとろうとしたとき、一般の人々にもわかる形式で、しかも詠ずることによって誰もが参加できるようにした、そのように考えられます。
しかしそれがうまくいったかどうか私には疑問に思われます。
また東西を越えほぼ同時代になぜ四行詩が選ばれたのか、この問題もまだ解き明かすことはできないでいます。
今は未解決の問題として記しておきます。
(2018年8月26日)