なぜかくも簡単に忘れ去り、忘れされるのか。
禍々しい事件が起きると新聞・テレビ・ネットいずれもほぼ同時に報道を開始する。
特にネット世界は、成育歴・家族関係その他を細部にわたって書きたて、さながら公開私刑の様相を呈する。
テレビのニュース番組も数人の発言者を用意し、司会自ら炎上して煽りまくる。
そういうとき私たちのまず留意すべきは、しゃべりまくる人にかぎって加害者とは距離のある〈外部人〉だということ。だから憂い顔をしながらも弁舌をぶちまくり、いくばくかのギャラを手にしても恥じたりしない。
ところが事件は次々と起き、視聴者の関心も移りはじめる。
それをすばやくキャッチし新たなネタに飛び移るのもマスコミの体質。
つまりニュースの話題性は事件の深度によって決まるのでなく市場原理によって左右される。
私たちが日常的に接している情報社会の実態は、そういうことです。
(2018年7月25日)