私たちは自分の選択なしに、男または女に生まれる。
しかし、日常生活のはじめからおわりまで性差を意識するわけでなく、むしろ無意識の時間が8割ぐらいはある。
だのに社会生活の場面では、否応なく振り分けられ、その障壁にぶち当たることもあります。
ある日私は仙台駅のトイレ近くにいた。
ママと一緒にいた4歳ぐらいの男の子がおしっこがつまったという。
ママは女子用のトイレにつれていこうとする。
「オンナ便所はいやだ」と激しく抵抗。
見かねた私は男の子を男子トイレに連れて行って、おしっこをさせました。
ママは入り口で待機。
そのとき思ったのは、幼女連れのパパが「おしっこ!」といわれた時のこと。家族用トイレがあればいいのですがそれは少ない。
誰かに頼んだとしても、パパが入り口に待機することましてや中へ入ることには否定感があるのでは。
こういう不具合なことが時々もれ出るのです。
(2018年5月21日)