まず作品を4首抽出してみます。
➀「なお人に残されているものとして木の間木の間を満たす秋の陽」
➁「羽化したての羽のごとくにすきとおる茗荷の花は濡れ土に浮く」
➂「盛りたつ草のふかみにつゆくさの花のひかりて青を放ちぬ」
➃「鹿の息雪のにおいに覚めたれど闇のおもくてまた目をつむる」
➀は周辺の山林に射す秋の陽を詠んでいます。その澄明さを「なお人に残されているもの」という。自然のなかに生活していなければこうは感受できない。
➁では茗荷の花に生のはじまりの初々しさ、危うさをとらえている。
➂もやはり植物の歌。つゆくさの青に見るのは、侵しがたいばかりの荘厳さ。
➃になると鹿と人間の境界はほんのわずかでしかない。
つまりこれらは分類としては自然詠だとしても、自然を対象化しているわけではない。
自然のなかに身を置き、両者の気息を重ね合わせているところに成立しているのです。
(2018年4月22日)