『短歌』「歌壇時評」第4回の題は「往くとき、送るとき」(4月号)。
人は臨死の時間を濃密に生きる、短歌をやる人は形式が自動的に作動して、ぎりぎりまで作歌が可能になるーーと書きました。
それならば息を引き取った後はどうなるかまで、手をのばすことができませんでした。此岸から彼岸へ移ることは信仰を持つ人なら容易、非信仰者はそうはいかない。
けれど私は、4「あの空文庫」に書いたように、彼岸に完全共通語の図書館が存在することを想像でる。
もちろん言語だけでなく、国籍・人種・性差など一切の属性を払拭した〈人間〉としての世界を。
こういう想像を空想ですまされるかどうかといえば、〈否〉です。
大震災に遭遇し、生死の境界がごく薄い膜でしかないと知った体験が、〈否〉といわせます。
私はこの頃、信仰の形をとらなくても同じ境地に立つことは可能なのではないかと考えはじめています。
(2018年3月13日)