「うた新聞」3月10日号に、7年を経ての所感「倒木を描きながら」を書きました。
一部を紹介します。
荒浜の海と陸の境には、長い長い防潮林がありました。それが大海嘯で根こそぎになり、累々たる倒木の景に激変。切断された幹は、無惨そのものの造型です。
やがて復興工事がはじまり、どんどん撤去されていきます。
それが切なくて、写真に撮り、またスケッチし、鉛筆によるイラスト化をはじめました。
そうしているうちに、倒木がただ凄惨な造型というのではなく、ある尊厳を内蔵させていると感じられるようになりました。
さらに、つぎのような思いも湧いてきました。
〈震災の犠牲者をこれまで悲劇の人たちとばかりみてきたが、息を引き取るわずかの時間をだれもが濃密に生きたのではないないか〉
と。
「私はこの頃、不帰の子たちを犠牲者・弱者とだけ見るのは、失礼だと思うようになった。」
これが所感の結びです。
(2018年3月11日)