机上には1枚の台紙があります。
「2011年3月11日14時46分」
と記されています。
あれからもう7年。
テレビの追悼式典に合わせて、黙祷してきたところです。
この歳月のなかでの変化は、私の身心に限ってもずいぶんあります。
まず「身」についていえば、ストレスが年々たまり不調となって噴出したこと。
あまりにも膨大な悲しみを、なんとかして発信したいと「短歌の集い 震災詠を考える~被災圏からの発信」のシンポを企画したのは2012年4月1日のことでした。
これに連動して「俳句の集い」が高野ムツオ氏を中心に、同年6月30日に開かれる。
さらに「詩歌の集い」を高野ムツオ氏・和合亮一氏と自分の3人で2014年3月21日に開催しました。
企画者もパネリストもそして参加者も、たまりにたまったストレスを抱えていました。 それでも「やらねばーー」と、わが身を奮い立たせたのでした。
(2018年3月11日)