ソフト部の子、生徒間でも絶大な人気があってキヨちゃんと呼ばれていました。
進路相談で将来の目標を聞くと医者になると断言。
しばらくして、経済的にきついから病院の掃除婦になると訂正。
結局卒業後は足利市の設計事務所に勤めて結婚。その地からガリ版刷のはがき通信を出しはじめた。一部は「路上」91号に掲載してあります。
ところがある年、くも膜下でいきなり不帰の人に。
悔しくて悔しくてーー。
そのほか、細倉に関わる思い出は楽しい事悲しいこと、どちらも多い。
寺崎英子写真展に引かれたのも、細倉の思い出がつまっていたから。
一枚一枚、目をこらして最後の一枚まで見る。
さあ帰ろうとしたとき、何だかいやに身が軽いなあという、妙な感覚に襲われました。
そこで全身を確認。
あっ、手提げバッグはあるのに、ショルダーバッグがない!
いったいどこで手放してしまったのか?
ここからが今日の主題です。
(2017年10月8日)