森鷗外に「カズイスチカ」という聞きなれない題の短篇があります。
決疑論者とか詭弁家(ぎべんか)と訳するらしい。
登場するのは花房医学士、すなわち自分。父親が開業しているので、代診のまねごとをしている。
ところが自分は、医学の道にいながらそこに集中する気になれない。
父親はその逆。
最初はそんな父親に対して、なんと内容のない生活をしていることかと批判的でしたが、いつしか見方が変わっていく。
「自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、父は詰まらない日常の事にも全幅の精神を傾注してゐるといふことに気が付いた。」
かくして父に、尊敬の念が生じていく。
ここに語られているのは、斎藤茂吉・岡井隆・永田和宏その他にも通じる、本業と脇業(文学)の問題です。
両者を抱えた表現者の内面のドラマは、興味深いものですが今日は問題の指摘だけに留めます。
(2017年8月1日)