【往還集139】26 推敲

『玉城徹全歌集』(いりの舎)がやっと刊行されたので、第1歌集から読んでいるところですが、「樛木後記」に来て私は立ち止まったのです。

「制作からあまり長い時間を隔てた推敲というものの意味を信じないのである」
「発表されたものは、すでに作者の手を完全にはなれたものとわたしは日ごろから考えて来た」

この2つの文は、関連します。
発表されれば、もはや作者の手を離れる、したがって長い時間後の推敲の意味はないーー。私もどちらかというと、玉城徹と同じ立場で、外に出た作品は原則として手を加えません。たとえまずい所に気づいても「これがそのときの自分なのだ、今更格好をつけてどうなる」と諦めるのです。
ところが、これとは正反対の立場もあって、推敲に推敲を重ねて、なお諦めきれず、版を改めるたびに補筆、加筆して止まない書き手もいます。
若い日の作品集に、事こまかに手を加える人さえいます。    
(2017年7月6日)