核のごみ最終処分候補地図が公表されたのは、昨日のこと。
「好ましくない」地帯のうち「火山や活断層の周辺」はイエロー、
「地下に採掘可能な鉱物資源」はグレイ、
「好ましい」地帯のうち、「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」が薄グリーン、
「輸送面でも好ましい」がグリーン。
すると本土のかなりの沿岸がグリーンになるのです。
嗚呼、嗚呼!
あきれかえってため息が出るばかり。
こちらの望んでいる議論の立て方とは、まるでちがう。
「近い将来原発は全廃する」
を前提に、「当面出て来る核のごみをどうするか
ならわかる。
ところが再稼働を前提に、切りもなく出て来るごみをどうするかの案が、これだ。
どうしても最終処分場が必要なら、最大の電力消費地に埋め立て地を作ってでもやるべし。それがせめてもの責任の取り方。
金を積み上げて弱小地帯に押し付け、強者が安全地帯にいる、こんな構図はもうご免。
(2017年7月30日)
月: 2017年7月
【往還集139】38 透明化
「いじめ」という用語が、犯罪であることを薄めていると私は思ってきました。
もっとも学校という集団のなかで、加害者と被害者を見分けるのは案外難しい。被害者だと見ていたら加害者に回っている、つまり小集団のなかで入れ替えのゲームをしていることがあるのです。
精神科医の中井久夫氏は『いじめのある世界に生きる君たちへ』(中央公論社)で、見分ける基準は「立場の入れ替え」があるかどうかだと書いている。
中井氏はこの問題を深い所でとらえていると、直感しました。
ホンモノのいじめは
「孤立化」
「無力化」
「透明化」
の三段階を進むともあります。
確かにその通り。
どのようにして抜け出すことができたか、体験をふり返りつつ
「自分がいじめられている時、他人がいじめられているように感じ、いじめられている自分を他人事のように外から眺めるという能力を獲得していたからできた
といっています。
(2017年7月29日)
【往還集139】37 いじめ
いじめ問題は、以前にもとりあげたことがあります。
いじめを考えるのはつらい。
いつからいじめ問題があったかといえば、それは教育問題となるはるかな以前から。
奥田継男が『ボクちゃんの戦場』(理論社)に描いたのは、疎開先における生死ぎりぎりのいじめ。
そういう自分も、転校生として新しい小学校へ移ったとき、いじめにあった。
さいわいに胸を張って防御してくれる級友がいて、救われた。
もし見て見ぬふりをされたなら、孤立化し、ついには存在するすべを喪ったにちがいない。
いま、仙台の中学校では度重なるいじめ自殺事件が大きな問題になっています。
遺族は調査を要請し、生徒にアンケートをとる。
その結果、加害者名ばかりか教師の名もあがり、さらに泥沼状態に。
報道としては伝えられていませんが、加害者とされた生徒も見過ごしてきた生徒も晴れやらぬ思いで日々を送っているに違いありません。
(2017年7月29日)
【往還集139】36 「慰安士」
いつの間にか強制されることのおもしろくなさについて、もう少し付け加えておきます。
現職だった日、文書の日付を西暦で書くと元号に直せと返されてきた。
文書用紙もA4に統一、左閉じに統一(私はいまでも右閉じが好き)。
姿を見せない権力が、他人に強いないふりをして実は強いる、これがおもしろくない。おもしろくないばかりか、不気味でさえあった。
用語でいえば、「看護婦」がいつしか「看護士」になった。
テレビのニュースでも、「○○さんの奥さん」といわないで「○○さんの妻」というようになった。
「かんごふ」「おくさん」のふんわりした韻の好きな私は、どれもイヤ。
男女差別を廃止しようという社会の流れから結果されたことはわかる、けれど感覚が納得できない。
同じ論法を通すなら、「慰安婦」も「慰安士」になる。
それでいいのですかと、だれに抗議するともなく、ぶつぶつとつぶやいている昨今です。
(2017年7月26日)
【往還集139】35 「障がい」
「障害」でなく「障がい」が目につくようになったのは去年あたりから。
意図はわかる、「害」は人権侵害にあたるからダメと声があがり、ふむふむなるほどと公的機関が同調する。
けれど長年通用してきた「障害」が何の断りもなく替えられ、「障害」を使うとはけしからんみたいな風潮になるのは、おもしろくない。
「害」が悪いなら「障」はどうなのか、どうせならべつの用語を作ろうではないかと、どうして話は進まなかったのでしょう。
オリンピックが近づくにつれて「オリンピック・パラリンピック」を語ることが多くなってきました。
まるで「パラリンピック」を付け足したように。
そこに潜在するのは、無意識の差別。
全ての人は障害を負う可能性があるーーを前提とすればオリンピック選手といえどもパラリンピック選手の〈二軍〉です。
その観点があれば、上下関係でなく陸続きにすぎないと発想できるようになる。
(2017年7月26日)
【往還集139】34 「アカナワ」・続
反軍的兵士は戦地で処刑され、「名誉の戦死」として遺族に届けられたーーというのが、これまでの私の知識でした。
ところが「アカナワ」があった!
さっそく軍事用語集で調べ、パソコンでも調べたのですが、見当たらない。「赤繩(せきじょう)」ならある。ただし意味は唐の故事にもとづく、夫婦の縁。
もし、この用語をご存知の方おられましたら、ご教示ください。
胸を締め付けられるのは、「アカナワ」を受け取ったときの遺族、おそらく父母の描写です。
「中年のふたりの男女は、姿勢を固くして動かなかったが、憲兵が消え去ると、女は思い切ったようすで、小走りに骨箱にかけより角巻きに抱きこむようにして元の所へ戻った。そこへうずくまって背をふるわすと同時に、鋭い笛のような泣き声が流れた。終始、身動きひとつしなかった男は、やがてうなだれたまま、女を従えるように足どりも重く広場をはなれ去っていった。」
(2017年7月24日)
【往還集139】33 「アカナワ」
「柏崎驍二・帖」を書くことを思い立ってより、三陸や北上山地に関係する資料を並行して読みはじめました。
なかには私の全く知らないことが出てきて、驚くこともあります。
その1例が「アカナワ」。
『北上山地の山かげから』(三省堂)に「「アカナワ」の帰還」の項があります。
戦地で亡くなった兵士は「名誉の戦死」として、白布の骨箱として還ってくる。
ところが赤い布繩で十字にしばられた箱もあった。
それは内務令違反・治安維持法違反・徴兵令違反・陸軍刑法違反・不敬罪で処断された遺骨。
太平洋戦争終息近くに北上山地の村役場に勤めていた大泉俊は、「アカナワ」を目撃し、つぎのように記しています。
「しばらくして、駅の正面口からひとりの憲兵が大またに出てくると、階段を降りながら、右手に下げた白い木箱をいきなり広場に放り出した。」
よくよく見ると、骨箱には縦横に赤ナワがかけられていたのです。
(2017年7月24日)
【往還集139】32 軽米(かるまい)
岩手県北部で八戸に近い北上山地に、軽米という町があります。
私はそこに行ったことがない。
だのに、なにかにつけてこの町の名が思われ、切なくさえなるのです。
北上山地は「日本のチベット」と呼ばれ、冷害、飢饉に苦しめられてきた地域。
軽米もその一つ。
大学4年のとき、教員採用試験がありました。私は岩手と宮城を受け、岩手はA採用、宮城はB採用。Aは必ず採用、Bはそれに準じるというのです。
しかし最初の赴任校の話は宮城県若柳高校から。
早く決めてしまったほうがいいと「諾」の返事をしました。
ところが1週間後に岩手県軽米高校からの打診が。
いつかは実家のある岩手県に帰る気持ちもあったので、順序が逆なら迷うことなく軽米を決めたはず。
しかし1週間の差でそうならなかった。
もし軽米が初任地なら、北上山地を肌で知り、多くの出会いもあったはず。
以来、とかく軽米が思われるのです。
(2017年7月23日)
【往還集139】31 透明な悲
また音楽の話になって恐縮です。
「コスモス」8月号に柏崎睦さんが
「この世にて君が最後に聴きし曲ショパンのソナタ2の変ロ短調」
を発表しています。
「君」とは故柏崎驍二のこと。
ショパンなら音楽に弱い自分もよく知っている。
けれど「変ロ短調」のCDはない。
さっそく街へ行って買い求め、これが最後に聴いた曲かと感慨深く聴いています。
このようにして音楽に造詣の深い歌人に刺激され、CDを手に入れてはこの世界を再発見してきました。
バッハの「マタイ受難曲」もそういうなかのひとつ。これは三枝浩樹氏の歌からの刺激。数年まえに買い求めて以来、なぜか冬季になるとよけい聴きたくなる。
音楽と短歌は直接には関係ないが、深層において共鳴することはある。
音楽好きの歌人は韻律感覚が繊細で、内容にも透明な悲をたたえることが多い。
この印象は、深層における共鳴から来ているのではないでしょうか。
(2017年7月15日)
【往還集139】30 「トゥオネラの白鳥」
映画「奇跡のシンフォニー」には、音楽の才能に秀でた少年が出てきます。
父親がボーカリスト、母親がチェロ奏者。望まれぬ子であったため、生れると同時に親から離される。
ところが両親から受け継いだ才能があったとみえて、少年なのに交響曲を作曲する。
どうやら音楽には、血筋とか家庭環境が影響するらしい。
自分の家庭は音楽から縁が遠かった。小5のときバイオリンを習ったことがありますが、才能のないことがわかってやめました(とはいいながら兄も息子もけっこう音楽好きだから環境説はあてにならないかも)。
以来、現在にいたるまで音楽に弱いことに劣等感を抱いてきました。
秘かに挽回しようと、歌人たちの推奨している音楽家のCDを買ってきては聴き、今更ながら奥深い世界にはまりこんでいます。
ごく最近では、松平修文氏の歌集『トゥオネラ』のもとになった、シベリウス「トゥオネラの白鳥」を。
(2017年7月14日)