ロンドン在住の渡辺幸一が「八雁」(2017年5月号)に「時評 ロンドンから」を書いている。
そのなかで、誰のどの作品かを具体的に示さずに、一般的な批判を書く傾向についてとりあげています。
これはもっともなこと。
たとえば「このごろの若手の作品は勝手気ままが蔓延している」「売らんかなの傾向に迎合している」などの評が出たとしても、誰のどの作品かがわからないと、検討しようがない。
そして、そういう評は後味が悪い。
なぜ具体的に示さないか。
他人を傷つけることによって自分も傷つけられたくないが第1。
作家や作品を切りつけるほどによく読んでいないが第2。
他人を切るほどの論拠を自分が持っていないが第3。
渡辺はいう、
「必要なのは抽象的な一般論ではなく、意見の違いを恐れずに本音を語る具体論である。」
これはまさに正論。
ただし本音を語るには論拠が不可欠。この希薄さが最大の問題では?
(2017年5月18日)