【往還集138】34 耳を澄ますこと

「うた新聞」にコラム「遠近画法」があります。
2017年3月号は音楽家の古沢健太郎氏の「ある種の難聴」。
音楽家とは思えない(失礼!)きちんとした文章で、しかも内容も深い。
古沢氏はまず、鳥・犬・コウモリ・クジラなどは自分らに聴きとれない低い周波数でコミュニケーションをとっている、それに対してこちらは「耳が悪い」といいます。
しかしそれが欠点ではない、作曲とは聴こえないものに耳を澄ますことであり、「存在」に耳を傾けようとすることだと。

「存在の気配の只中にありながらそれがうまく聴こえない、聴き取れないからこそ私たちはそこに耳を澄まし、音楽を聴き出そうとしている。」

いいことをいっているなあと、私は炎暑のさなかにシャワーを浴びたような爽快さを覚えます。
聴きとれない存在に耳を傾け、音を得るか、ことばを得るか、音楽と文学の共通点と分岐点はそれなのだと思ったのです。
(2017年3月21日)