〈権力の入り込む余地のないささやかな空間〉を、現職に日の自分は何度も体験してきました。
初任校若柳高校のときは野外授業と称し、何回も迫川を歩き生徒たちとしゃべった。
古川女子高のときは新聞部の顧問をしていて鳴子の合宿所へ。
最後の広瀬高校のときは昼休みに2階渡り廊下のひだまりに集まって、食事兼おしゃべり。
つまり授業から離れ、評価をするしないの関係もない、人間と人間の空間。
それはどの学校に行ってもありました。時代とともに学校への視線は厳しくなり、さまざまな注文を文部省からも親からもつきつけられるようになる。
その視線はとかく「教師対生徒」「管理対被管理
に固まってしまうけれど実際はそれらの構造を無化する空間がいくらでもあるのです。
それこそ権力の及ばない空間は〈ひだまり〉としてあった。
だからこそ定年までなんとか教職をつづけられたのだと、いまになったわかります。
(2017年3月2日)