以下につづく、松枝茂夫訳を引用しますので、どういう内容なのか想像してみてください。
「山の木の実があると、泣きわめいて欲しがるし、村の鬼やらいの行列には喜びはしゃいでついて行く。大勢のものと一緒に瓦で塔を積んで遊んだり、ひとりで庭の小池に立って影をうつしたりしている。またボロボロになった本を小脇にはさんで読んでいるところは、まったくはじめて塾にあがった時とそっくりだ。」
こういう〈子ども大人〉は日本にもいる。代表者はなんといっても良寛さんでしよう。
しかしところで、陸游は「もはや七十に近いというのに」といっていますが、そもそも人は〈子ども〉を卒業してではなく、〈子ども〉を下に敷いたまま、つぎを積み重ねていくだけではないか。
もしちがいがあるとすれば〈子ども〉が強く刻印されているかどうかだけではないか。
刻印度の強い人が児童分野へ向かう、そんな気がします。 (2017年2月15日)