【往還集138】25 細井剛(つよし)さん

歌誌「りとむ」3月号に、三枝昻之氏が「悼・細井剛さん」を書いているのでエッ!と声を上げてしまったのです。
「悼」とあるからには亡くなったということ。
入退院をくり返していたことは知っていましたが、去年10月に没したとは。
細井さんは1934年札幌生まれの短歌評論家で、通称細井剛(ごう)。北海道に根を降ろし、「現代短歌・北の会」の支柱となってきました。
「路上」にも31号の「岡井隆論」を皮切りに何度も執筆してもらっています。
札幌に旅行したとき、対談の企画にも付き合ってくれました。
前衛短歌を高く評価し、その視点から評論を書きつづけたのですが、発表誌の終刊とともに、一旦姿が見えなくなる。
数年して「りとむ」に入会し作歌をはじめたので、「路上」にも発表してほしいと依頼したところ、まだまだ未熟だからと辞退。
そのうちお願いしますと伝えていたことも、もう叶わなくなりました。
(2017年2月27日)

【往還集138】24 写真家中村ハルコ・続

荒浜に立つ4人の妊婦の写真。
荒浜に立つ幼児をだっこする婦人の写真。

『光の音』をくり返しくり返し開き、ついに一気に80枚の「中村ハルコを追って 写真集『光と音』の世界」を書きました。「路上」113号に発表したのは2009年4月ですから、8年まえのことです。
もしもっと存えて3・11に遭遇したなら、目覚ましい写真活動をしただろうと惜しむのです。
というのも論の終結近くにとりあげたのは2枚の写真。
1枚目は自分を中心に、妊婦4人が海を背景に立つ場面。
2枚目は出産した幼児をだっこする同じメンバーが同じ位置に立つ場面。
この海はハルコが子どもの頃泳いだ荒浜です。
震災後私は何度もこの海に立ちましたが、そのたびに2枚の写真が浮かんできます。
海、それは太古そのもの、そして新しい生命を育む母胎も海そのもの。
あの日突然噴出した自然の忿怒は何だったのか、中村ハルコならどのようにとらえただろうかと、あまりにも早い退場を、口惜しく思うのです。
(2017年2月26日)

【往還集138】23 写真家中村ハルコ

宮城県図書館へ。
仙台の郊外紫山の地に図書館とは思えない、宇宙基地のような建築物が出現したときは驚きました。
周辺は雑木林に囲まれ過去・現代・未来が統合されたよう。
その図書館を会場に「写真家中村ハルコの軌跡」の講演会がありました。
講師は館長の千葉宇京氏です。
千葉氏は、43歳の若さで亡くなった写真家の輪郭を多くの映像を使いながら説明し、最近また写真界で見直されはじめていると語りました。
この分野に疎い自分ですが、全力疾走で撮りまくり、優れた作品をのこした写真家を埋もれさせるわけにはいかない、いつか再評価されるときが来てほしいと願っていただけに嬉しさがこみ上げてきました。
中村ハルコが3人の子をのこして逝ったのは2005年。3年6カ月後に写真集『光の音』は刊行されます。
私は生の本人は知らず、写真集が初対面でしたが、作品の密度にはたちまち魅せられました。
(2017年2月26日)

【往還集138】22 仙台商業高校跡地

仙商のあった場所をしのばせる石碑。

「ルノワール展」を見終って昼食をとりに地下鉄駅「国際センター
2階のレストランへ。
ドーナツとコーヒー。
大窓からたっぷりと入る早春の日差し。
川内(かわうち)については「往還集136
にも書きましたが、学生の日のスタート地であり3度目の勤務地でもある此処は、どっと追憶を呼び覚ます場所なのです。これからも懲りずに何度でも書くでしょう。
それにしても仙台商業に着任したのはいつのことかと、紙のはしにメモして計算したら41年まえ!この歳月の長さは今更ながら衝撃的。
校舎は転地してすでにない。辛うじて跡地の石塔が建つばかり。
ときどき思いがけない場所で、働き盛りの元生徒に会う。
私はクラスを持ったとき日刊のクラス通信を出した。放課後のホームルームで渡すとさっそくゴミ箱ポイの生徒もいた。
そういうことを覚悟のうえで、しぶとくやり続けたあの情熱はなんだったのでしょう。  
(2017年2月24日)

【往還集138】21 「ルノワール展」へ

ルノアール作「少女」から「秋の野のまぶしきときは」が生まれた。

宮城県美術館で開催されている「ルノワール展」へ。
ルノワールは日本人に大人気。平日というのに館内は、多くの人の静かな熱気。
何といってもあまやかな少女像と滑るような素肌の裸婦像に魅力がある。
ルノワールはなぜこのような制作に熱中したのか。
あまいローマン性を求めたからだけではなく、その人の最も美しい〈とき〉をとらえておこうとした、そのような解説を読んで納得しました。
私の18歳の日の歌(のちに『薄明の谷』収録)に

「秋の野のまぶしき時はルノアールの「少女」の金髪の流れを思う」

があります。初期代表歌として今でもとりあげてくれる人がいます。
学生になった日にスケッチブックを買いました。表紙は長い金髪の少女像。それが気に入って身辺に置くうちに、「秋の野のーー」が生まれてきたのです。
ほんものにも対面できるかと期待しましたが、残念ながら展示からは、もれていました。
(2017年2月24日)

【往還集138】20 文化財の値段

速読術なる術があります。
人一倍遅読の自分、さっそく試したことがあります。
結果はダメでした。
今でも1冊を読み切るたびに「ふーっ
とも「ほーっ
ともつかぬため息が出ます。
このため息には2つの意味があります。
1つ目は「やっと終わった」の安堵感ですが、2つ目は「こんなにスゴイ文化なのに値段が見合っていないじゃないか」なのです。 
ちなみに最近読んだ本を文庫にしぼってあげてみます。

『「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫1500円)
『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫1040円)
『神曲 煉獄編』(河出文庫950円)
『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫1200円)

文庫本だから安くて当然と思いがちですが内容の密度の点からして世界的文化財といっていい。
だのに値段がラーメン2杯分と同じとは悲しくなるではありませんか。
文化は貧富老若男女を問わず皆のものと思えば納得できるのですが。
(2017年2月19日)

【往還集138】19 萬葉堂へ

仙台の老舗古書店といえば萬葉堂。久しぶりに行ってきました。
そのときの佐藤Aと佐藤Bの会話。

「きれいに分類されていて気持ちがいいねえ。もう本の時代は終わったなんていわれているけど健在じゃないか」
「ふむふむ」
「あっ、川端康成全集がある、前々からこれ欲しかったんだ」
「ふむふむ」
「法然、日蓮関係もぞろっとある。今親鸞をやっているけど、やっぱり法然が大事、それに賢治をやっているものとしては日蓮を避けて通れない」
「おいおい、そんなに買ってどうするんだ。だいたい書庫が満杯だなんていって、半分近くも処分したばかりじゃないか」
「それはそうだけど」
「そのうえ最近は目の力が衰えて活字が読みづらいって嘆いているじゃないか」
「それはそうだけど」
「そのうえもう余命だっていくらあるかわからない、読みこなせるわけないじゃないか」「それはそう。でも今日のところは許して、5冊だけにするから!」
(2017年2月17日)

【往還集138】18 柱時計

地震をきっかけに、自信をとりもどした時計です。

子どものころ、家の時計といえば柱時計でした。
振り子が左右に動き、ゼンマイ仕掛で、ビンビンと時を告げます。
仙台の一人暮らしの叔父が亡くなったとき室内の整理をしましたが、柱時計を残しておくのも可愛そうで自宅に持ってきました。相当の年代物でゼンマイも切れています。
パソコンで修理店を検索、見つかったのでお願いしました。
修理代1万円!
けれどおかげでチクタクの音が聞こえるようになりました。
が、1年でパタッと沈黙。
また修理店に持って行こうとしたら、すでに閉店していました。
以来10年。うんともすんともいわない柱時計。もう廃棄しようか。
ところが去年の11月22日、福島県沖地震と津波警報発令。
丁度そのとき、自分勝手に動き出した!3・11のときはまったく無反応だったのに。 

時計さん、どうしたの?

と聞いてもチクタクチクタク、ビーンビーンというばかり。
以後、毎日元気です。
(2017年2月16日)

【往還集138】17 童児の世界

以下につづく、松枝茂夫訳を引用しますので、どういう内容なのか想像してみてください。

「山の木の実があると、泣きわめいて欲しがるし、村の鬼やらいの行列には喜びはしゃいでついて行く。大勢のものと一緒に瓦で塔を積んで遊んだり、ひとりで庭の小池に立って影をうつしたりしている。またボロボロになった本を小脇にはさんで読んでいるところは、まったくはじめて塾にあがった時とそっくりだ。」

こういう〈子ども大人〉は日本にもいる。代表者はなんといっても良寛さんでしよう。 
しかしところで、陸游は「もはや七十に近いというのに」といっていますが、そもそも人は〈子ども〉を卒業してではなく、〈子ども〉を下に敷いたまま、つぎを積み重ねていくだけではないか。
もしちがいがあるとすれば〈子ども〉が強く刻印されているかどうかだけではないか。 
刻印度の強い人が児童分野へ向かう、そんな気がします。    (2017年2月15日)

【往還集138】16 「書適(しょてき)」

漢文・漢詩と聞いただけで縁遠い感じの先立つ時代です。
それもそのはず、私の高校時代までは週1回漢文の授業がありましたが、以後は廃れる一方です。
漢詩・漢文の教養が衰えたことと、文語力の衰えたことは密接に関連している。
けれどよくよく読めば今にも通じる作品はいっぱいあります。
私は折々『中国名詩選』(岩波文庫ワイド版)を開いては、その世界の豊かさを楽しみ、現代にも通じる新しさに目をみはることがあります。
「書適」もその1つ。
作者陸游(りくゆう)は日本でいえば鎌倉時代の人。

「老翁垂七十/其実似童児」
(老翁七十になんなんとするも/その実童児に似たり)

とうたい出しています。
現代語訳にすると、「この年寄はもはや七十に近いというのに、実際はまるで子どもみたいだ。」となります。
漢詩には厳密な押韻がありますから、書き下し文・通釈では味わいを半減させてしまいますがそこはご勘弁を。
(2017年2月15日)