「マッチ売りの少女」ならよく知られていますが、ミズアメ売りの少女もいたのですね。
岩手県の辺地校に勤めていた、情熱的で人望も厚い、若き教師に柏崎栄がいた。
貧困生活のなかの生徒たちを、何とか人間として伸ばそうと、生活綴り方指導を行う。
その熱心さが軍国主義の趨勢のなかで見とがめられ、152日間の留置生活を送る。
千厩(せんまや)署から一関署に移されたとき、夜9時になると、寒い冬の町筋を
「ミズーアーメー アマーイーミズアーメー」
と売り歩く少女の声がする。
いつしか、その美しい声を待つようになり、数日途絶えると風邪でも引いたかと心配する。
「再び美しい、歌うような声で呼んで来たとき、私の心はなごみ、その声が遠くなるまで追うのであった。」
柏崎は、困難な戦時を勤めつづけ、1965年に退職。
その回想記録集『ある北方教師』(労働旬報社)の一隅にひっそりと挿まれています。
(2017年1月22日)