新年所感として、人類の価値などと大それたことを口にしたばかりですが、他面では以下のようなことも考えています。世界には核廃絶を訴え運動しつづけている人たちがいる。アフガンの地に根を下し、地道に活動しているペシャワールの会もある。もっと焦点を絞って身辺を見ても、雨の日も風の日も新聞配達してくれている人がいる。早朝の町内を一巡りしながらゴミ拾いしている人もいる。その他、目に見えないところで善のことを〈善〉としてでなくふつうのこととしてやっている人は、いっぱいいる。それなのに「人類の価値ありやなしや
などと、具体を一気に脱落させ、抽象に走る議論に出てもいいのだろうか。正直なところ、これが私の矛盾です。全宇宙で地球は1粒の砂以下でしかない、だのに人間があくせくと生きるのにどういう意味はあるのかにとらわれたのは高校生の日。あれと裏返しの矛盾というべきかも。
(2018年1月3日)