【往還集135】17 映像化・続・続

2016年1月5日
私たちは日常的に事件・事故の映像に接している。
砂漠に正座させられての殺害に憤り、難民の幼児の遺体に涙する。なまの事態を広く伝える力が映像にはある。
だのに、その被写体が自身になったときの反応には、落差がある。
3・11のとき、被災者が避難所に犇めいた。
そこに入りこむテレビカメラに向かって憤る人が何人もいた、「おれたちは見世物ではない」と。
だが他方では惨状を伝えない日本のマスコミに批判的な評者もいた。
その一人辺見庸は『瓦礫の中から言葉を』で、テレビや新聞が死と屍体のリアリティを消したことを批判する。ある日突然モノ化してしまうという哲理を無視するのは、死者に対する敬意がないのではないかと。
が、被災地の直近にいた自分には、この考えに違和感があった。
ここには渦中にいるかいないかの、距離の問題がある。
あれ以来5年経とうとし、いまもなおこのことを考えている。

【往還集135】16 映像化・続

2016年1月5日
テレビの笑福亭鶴瓶や火野正平の旅番組をよくみる。
いきなり家庭やレストランを訪問する。
そのときの無名の人々の戸惑いが、みるがわには新鮮だが、被写体のほうは迷惑千万!の反応をする人も少なくない。
個人の領域に踏みこまれたくないという感覚は、多くの人がもっている。
私も新聞・テレビで、家での仕事ぶりを映したいといわれることがあるが、全て断っている。
家といえど、極私(ごくし)的な空間であり、いうなれば秘密基地だ。
そこをなんのいわれもない視聴者に公開されたのでは、たまったものでないという拒否感が先立つ。
旅番組の場合も同じことで、映像化されることを、ほとんどの人が迷惑がる。
だから家庭やレストランなどへ入るときは、スタッフがあらかじめ許諾を得ているはずだ。そうでなければ次々にトラブルが生じる。
下準備をしたうえで、あたかも突然の訪問のようにみせるのが、芸のうちでもある。

【往還集135】15 映像化

2016年1月5日
仙台文学館の「杜の小径」も、春には終了することになった。
正月恒例の「仙台雑煮」も最後。
これには長面浦(ながつらうら)産のハゼも入っている。追波湾(おっぱわん)に近くハゼ漁の盛んだった所。大きな被害を受けたが、やっと復旧しはじめた。
取材の記者がいたので、「杜の小径」のこれまでについて説明する。
この記者が、食べている写真を撮りたいといったとき、近くにいた男性が
「写真なんか撮るな!」
とかなりきつい声をあげた。
一瞬、まわりの人たちは凍りついた。
そのときの男性の心になにがあったのかは測りかねる。
写真として新聞に載っては困る事情があったのかもしれないし、たまたま居合わせた〈大衆〉として扱われることへの忌避感があったのかもしれない。
後者の感覚なら自分にもよくわかる。
自分のみならず「仙台雑煮」を食べたくてきた人だれにも共通する。
こういう映像化の問題は日常的に起きている。それを考えてみたい。

【往還集135】14 好色

2016年1月3日
二宮冬鳥は医者である。院長も勤めたことがあるから半端な医者ではない。
だが好色でもある、医者と好色を「だが」で繫ぐ根拠はなにもないけれど。
医者かつ好色の第一人者は茂吉。
二宮も負けてはいない。
好色とは、人格まで踏み込まず「女性」という外見を男性の目によってとらえることをいう。
『青嚢集』から。

「冬されば電車の中にをとめごの腋間の草をみることもなし」
「さにづらふをとめのともがわが妻にくらぶべくなくあまた美し」
「おほよそは生殖機能そなへたるをみなごなればかなしきろかも」

電車で窃視するおとめごの腋の毛によほどエロスを覚えたらしい、何首も作っている。 
2首目は、妻が読んだら機嫌をそこねそうな歌。
3首目には医者としてのまなざしも介在する。
『黄眠集』には

「美しき車中のをとめに安らぎぬ美しくなき時もやすらぐ」

もある。女性側からしたら「よけいなお世話!」と抗議したくなる歌。

【往還集135】13 「歌にならぬやう」

2016年1月3日
昨年暮れから『二宮冬鳥全歌集』を読みはじめた。
この歌人の、短歌のわくにはまらない歌風には、以前から関心をいだいていたが、やっと全貌を探索する機会を持つことになった。

「歌にならぬやうに歌にならぬやうにと作るうた一つの悲劇の如く思へど」

『黄眠集』に、こういう歌がある。

「「晴れてゆくしぐれに傘をたたむ汝」ああそのつぎに常識くるな」

こういうのもある。
『青嚢集」』(せいのうしゅう)「巻末記」には歌壇の封建制への批判が記されている。昭和21年に書いているのだから、戦前・戦中への反省と抵抗がある。
けれど「歌にならぬやう」にするための最も明確な選択肢は、短歌を否定することだし、実際離脱した人は少なからずいた。
二宮の場合は離脱でなく内部批判である。だから作りつづけ、伝統性とはひと味もふた味もちがう、個性的な歌を量産した。
「ああそのつぎに常識くるな」と、なによりも自らを戒めながら作りつづけた。

【往還集135】12 別姓・続

2016年1月2日
黒川創『京都』は4篇から成る短編集で、どれも京都を舞台にしている。
さすが京都出身だけあってその地の描写がこまやかだ。
しかもいわゆる観光地的京都ではなく、底辺層の町や人々の襞深くへ入りこんでいる。 
そのなかの一篇「深草稲荷御前町」には、韓国籍の西山徹と妻坂田由紀子が登場する。二人には悠太、梨花の子どもがいる。由紀子は、家族全員が「西山」にするためにはどうするか、家裁へ相談に行く。
そのことを夫トオルへ告げると、韓国では結婚しても別姓だ、なんで改姓の必要があるかと腹を立てる。
由紀子は「家族が同じ姓になってへんのって、悲しいでしょう。子どもらかて、かわいそうやし」と反論する。
ふたりは結局離婚してしまうのだが、「家族が同じ姓になってへんのって、悲しいでしょう」に家族主義とはまた別の思いを感じ、哀切さとして残った。
無姓賛成派の自分としては、矛盾してしまうが。

【往還集135】11 別姓

2016年1月2日
夫婦別姓問題がずいぶん問題になり、司法のうえでは、旧家族主義側の勝利のような形でひとまず決着した。
要するに別姓になっては家族の形が危うくなる、簡単に離婚する例もふえてくるという、旧来の保守層の考え方だ。
この件に関する私の考えは、別姓にするか同姓にするかは、当人たちの選択でよいとするものだ。
そもそも一方の姓にすることによって、たとえば「佐藤家」のものになるなどという旧家族主義的感覚には、以前から違和感がある。そんなことに縛られるなら、別姓がよい。
ただ別姓になって困るのは子どもの姓をどうするかだ。
ならばいっそのこと姓を全廃してはどうか。そもそも庶民は無姓だったし現に名前だけで通している人もいる。
それに対して戸籍を作るうえでは姓がやっぱり必要だとする考えもある。
けれど目下悪名高い「マイナンバー」が戸籍だけのことなら解決する可能性がある。