【往還集137】43 30年ぶりの訪い

柏崎驍二『四十雀日記』に

「事故死せし子の家を三十年ぶりに訪ひわが教職のことへむとす」

があります。
柏崎が高校教師を定年退職したのは、2002年のとき。
職を退くにあたって、かつて事故死した教え子の家を訪れる。墓前にもお参りしたでしょう。
それだけ、若くして亡くなった子のことが、ずっと心にかかっていたということです。
私の元同僚にも、退職の知らせをなによりもまず亡き教え子に告げに行った人がいます。その子は自死でした。
わが身をかえりみると、定年退職するにあたっていちばんほっとしたのは、担当したクラスで亡くなった子は一人もいなかったということです。
他の同僚には、事故死・自死の生徒に出会うひとが何人かいて、その悲嘆ぶりをかたわらにしてきました。
教師にとって、教え子の死に出会うほど悲しいことはない。
それは今も昔も、戦争時代だってかわることがありません。
(2016年12月30日)