2016年11月26日
「路上」に連載していた「宮柊二『山西省』論」をやっと書き終え、出版社へ送りました。ゲラが届き、校正している最中です。
資料からの引用文も多いので、全てを原典に当るという作業もあります。
そのとき、閃いたことが。
早暁の書写は、親鸞『教行信証』。つぎつぎと出てくる引用文に「なんだこれ?」と思うことからはじまりました。あちこちの経典からつごうのいい個所を借りてきた、パクリじゃないかと。
ところが自分自身が引用文を点検しているうちに、一冊の精髄をつかむことなしにはできないと気づきました。
親鸞は山のような経典を読み、精髄がどこにあるかをとらえた、その部分をこそ引用しているのであって、けっして自分につごうのいいように構成しているわけではない、パクリなどではないとはじめて気づいたというわけなのです。
遅まきながら、『教行信証』の門をやっとくぐることができた気分です。