【往還集137】16 なぜ

2016年10月27日
3・11の夜、こちらも被災者で、情報手段はラジオに限られていましたから、震災の全体像は全く見えていませんでした。
「荒浜で200~300の遺体」のアナウンサーの一言で、はじめて「とんでもないことが今まさに起きたのだ」と気づいたのです。 
大川小学校の情報はさらに遅れました。児童74名教師10名が犠牲になったと知ったときは、胸のつぶれる思いでした。
私は牡鹿半島のを訪ねたことがあります。
その途中見かけた校舎の印象が忘れられません。
こんな地方なのになんとモダンな校舎なのだろう!
(あとで知ったことですが校歌の作詞者も知人でした。)
そこの子どもたちが一気に壊滅状態になったというのですから、文字通り張裂ける思い。 
校舎のすぐ裏は山だというのに、なぜ教師たちはそこに誘導できなかったのだ、なぜ生命を守ってやれなかったのだと、憤りさえさえ湧きあがってきました。