【往還集137】7 佐々木喜代子『遠きクローカス』(青磁社)

2016年9月27日
福島発のすぐれた歌集が、5年の熟成をかけてやっと生まれてきました。
佐々木喜代子さんはいわき市在住で結社誌「未来」に所属、年齢不詳。

「あの原発事故から五年、杳としてわからぬものをかかえながら、フクシマはなおフクシマであり、これからもずっとありつづけ、人々は詠み紡いでゆくことでしょう。」

と「あとがき」にあります。
すぐれた作品のなかから、スペースのある限り紹介します。

「ガラス戸をいち枚へだてたちまちに黄のクローカス界を異にす」

「同情と忌避の視線の先に生きふくしまびとは深くマスクす」

「日常へ日常へと揺りもどしゆくバネを持ちをり暮しといふは」

「ああここにも仮設住宅建つならむ記憶ひらたく均されてゆく」

「水とふは経めぐるものを 事故の地に水になれざる水増殖す」

「咎を負ふもののごとくにふくしまの群衆としてただよひてをり」

「残されし我の時間にふくしまの劫初の空は戻りては来ず」

【往還集137】6 自動運転

2016年9月27日
このところ自動運転車の開発が話題になっています。
世界各国が実用化に向けてスピードを上げている、わが国も後れをとってはならぬと、政府関係者まで語りはじめている。
私はこれに危惧を覚えています。自動運転になれば、高齢者も安全だなどと夢のような話になっていますが、もし事故が起きたとき誰が責任をとるかをはっきりしておかないと大変なことになります。
私の使っているアイサイトのシステムも、事故は搭乗者の責任になっています。
完全自動運転になっても、メーカーはけっして責任をとろうとはしないでしょう。
せめて半々の責任とすれば、本気で対策を立てるでしょうが、いざというときは逃げに回る。
オレオレ詐欺が出てきたとき、被害者と金融機関が責任を半々にしたなら、金融機関はもっと本気で対策を考えただろうと思ったものでした。
逃げの一手を保持するかどうかここに注目しています。

【往還集137】5 子どもの本のこと

2016年9月26日
あまんきみこ作、松成真理子絵の『きつねみちは、天のみち』(童心社)を読んで、いいなあ、いいなあ、こういう話はいいなあと思ったのです。
どういう話なのかあらすじを語りたいところですが、それではこれから読む人の邪魔になるでしょうから、帯文だけ写しておきます。

「夕立のすきまの道にはとてもふしぎで、やさしい時間がまっていました。」

私は今でも時々子どもの本を読みます。すぐれた本に出会うたびに、この分野から遠ざかってしまったことを惜しく思います。もう一度やろうとしても、もう70を過ぎている、とてもとてもと、あきらめています。
そしたら「なにいってんのよ、わたしなんか85になってもまだ書いているのよ」という、あまんきみこさんの声が、天の道のほうから聞こえる気がしたのです。
そうかトシには関係ないんだ、また少しずつでも書いてみようかと、こっそり思い立ったのでした。

【往還集137】4 ミヤギノハギ

2016年9月25日
純正のミヤギノハギは濃い臙脂色で、風雅と優艶が一緒になったような花です。
広瀬高校には、創立記念に移植されたというハギが、校庭に面した傾斜地にありました。季節になると一斉に咲き連なり、それはそれは見事でした。
あまりに見事なので、接ぎ木の仕方を教わり、家の垣根と近くの空地に植えました。
すると空地のほうは土に合ったのでしょうか、なんの手入れもしないのに年々大きくなり、丈も2メートルを越えました。その枝垂れ咲くさまは、まさに臙脂の滝のよう。
こうして10年を迎えたのですが、急に芽を出さなくなり、そのまま枯れてしまったのです。
どうしたのだろう、なにが起きたのだろうと落胆しましたが、もしかしたら生きるだけ生きたからもう十分と思い、自分で自身の始末をつけたのかもしれません。
垣根に移植したほうは、今秋も元気。こちらはまだまだ、生きのこしていることがあるようで。

【往還集137】3 汽車と電車

2016年9月24日
「汽車」
といえば蒸気機関車、「電車」
といえばチンチン電車――と、小さい頃から刷りこまれてきました。
ところが蒸気機関車が廃れ、かわって電力が主力になるにつれて「汽車」は使われなくなってきた。それにかわって鉄道すら「電車」というようになりましたが、私はいまもって納得していません。
それというのも汽車がほとんど姿を消した時期に、小牛田―新庄の間はまだ蒸気機関車が活躍していました。
当時小牛田に住んでいた私は、古川まで汽車で通勤していたのです。
沿線にはマニアがカメラを構えている。
が、こちらにとってはふつうの交通手段。立派に蒸気を吐いているのに、とても「電車」とはいえない。
それに「電車」は、路面をチンチンと走るイメージしかない。
このように一旦刷りこまれたイメージを替えるのは難しい。
今でも在来線だけは、「汽車」といいたい。「汽車」がだめなら「キシャ」でいい。

【往還集137】2 ネコちゃんが妊娠しました

2016年9月9日
このごろ、世の中の軽重をわかっていないのではないかというニュースの流れること、多々あり。
テレビに字幕が出たので、なんの大事件かとドッキリしたら、愛ちゃんが台湾人と結婚するという。
愛ちゃんはかわいい、結婚もめでたい。
けれど大ニュースとしてテロップで流すほどのことなの?
この例はまだいい、役者やタレントが妊娠したということまで報道する。妊娠しようが流産しようが的なこと、なぜこちらまで共有を強いられなければならないのでしょうか。
成人した息子の事件に、女優のお母ちゃんが全国へ向かって頭を下げるのも見ていられない。
いったいぜんたい、このごろのこの世のなか、どうなっちまったんだろう、私的な結婚・妊娠と、内外の大きな事故・事件が同列に置かれるとはーー。
そのうちタレント○○さんのネコちゃんが妊娠したそうですーーなんて字幕も流れるようになるのでは?いやはや。

【往還集137】1 「コンビニ人間」

2016年9月8日
芥川賞受賞の村田沙耶香「コンビニ人間」を興味深く読みました。
正直なところ評者の何人かが激賞しているのには、ついていけないところあり。
白羽さんという変人の登場ぶりがどうも芝居がかっている、つまり作為的すぎる。
むしろ私の注目したのは、つぎのような一文でした。

「どうやら私と白羽さんは、交尾しないほうが人類にとって合理的らしい。やったことがない性交をするのは不気味で気が進まなかったので少しほっとした。私の遺伝子は、うっかりどこかに残さないように気を付けて寿命まで運んでちゃんと死ぬときに処分しよう。」

同棲しても性の交わりはない。「性交」とはいわず、ずばり「交尾」。
ここには人間の〈文化〉を脱落させた、虚無と紙一重の空域がある、それは善悪とか上下の問題でなく、目下の人間の遭遇している、新鮮さとはほど遠い〈新しさ〉であるーーそんな感想を持ったのでした。

【往還集136】40 18歳選挙権

2016年9月7日
今年の参議院選挙から18歳以上が選挙権を行使できるようになりました。
18歳といえば高校3年生も入る。若い世代が自分たちの意見を国政に反映させることは勿論いいことです。
けれど、どうも奇妙なことになっている。投票権を行使することは、選管も、マスコミも、おおいにすすめている。とはいえ最重要課題は〈誰に〉〈どういう政策に〉投票するかなのに、そこがすっぽり抜けている。
「どこに行くかわからないけれど、とにかく列車に乗りなさい」といっているようなもの。
学校でも、教えられるのは投票の意義と投票の仕方まで。どの政党がどういう考えを持っているかまでは、はっきりといえない。
なにしろ「平和国家」「平和憲法」を教師が口にするだけで、行政はじろっとにらむ。

「みんなで協力して平和なクラスにしよう」

と教室に標語を掲げることすらご法度になりつつある。
こういう奇妙なことが、進行中です。

【往還集136】39 事は静かに

2016年9月6日
全国版にはもう載ることのない記事があります。
放射能検査が継続されていて、その結果が地方版には「不検出」「検出」として発表されます。
この頃は紙面の片隅になりましたが、原発事故のその後を知るうえで大事なことには変わりありません。
「検出」にはイノシシ、ツキノワグマ、シカなど動物の名があいかわらず出てくる。
これはあくまで検査に出したもの。きっとだめなもの、たとえばキノコをはじめとする山菜類は最初から提出しないこともあります。 
つまり山も土壌も5年たっても、汚染されている。
町内が除染されて帰還解除になったとしても山は手のつけようがない。
そればかりか人体への影響もこれから出てくるかも知れない。
だのにマスコミ報道は静かになり、被災地の声もなかなか上がりにくい。
それは解決に近づいたからではない。
事は静かに進んでいる。
この静けさに〈いま〉があると私は思っています。

【往還集136】38 その後

2016年9月2日
仙台に地下鉄東西線が開通したのは去年の12月6日。この路線を使う用はないのですが、どんなものかと終点「荒井」まで乗ってきました。
駅の東方には高速道路がつづく。
津波はここで遮られた。
駅の1、2階には「せんだい3・11メモリアル交流館」があり、大震災のさまざまな資料が展示されている。
5年もたつと「あった」ことさえとかく忘れているのですが、展示をまえにすると「その後を生きている」ことに気づき、改めて慟哭を覚えるのです。
私は松浦寿輝「afterward-2011・3・11」のフレイズを思い浮かべます。
フランスの知り合いに「その前」と「その後」に分断されているのになぜ平静でいられるのかと問われた、その応えです。

「なぜなら「その後」をなおわたしたちは/生きつづけなければならないから/悲嘆も恐怖もこころの底に沈んで/今はそこで 固くこごっている」

というのです。