【往還集136】30 白衣の人

2016年8月10日
『水晶の座』に、

「霜こごるに手をつき銭を乞ふ白衣を見れば彼も吾を見る」

があります。
田谷は1917年生れ。応召体験がありますから、戦後の傷病兵も他人事ではなかったはず。
「白衣を見れば彼も吾を見る」には双方の、あるいたたまれなさが凝縮されています。
私も子どものころは、人ごみのなかに銭を乞う傷病兵を見てきました。さまざまな異形は、あわれを越えて不気味でさえありました。
中学のときの修学旅行は東京。
上野公園を通ったとき、アコーディオンを弾く何人もの白衣の人達を見ました。
眼帯やギブスの姿、両足がなくて地にひれ伏す人もいました。
担任の先生は岩手県教職員組合()に熱心な人で、戦中派でもありました。
当然同情するのかと思っていたら、

「補償金をもらっているはずなのに、あわれみを乞うている!」

と憤然といい放ったのです。
あの憤りは、なんだったのでしょうか。