【往還集136】37 飛行機・続

2016年8月31日
かつて同僚に飛行機恐怖症がいました。スポーツをよくやる元気な人なのに飛行機だけは絶対ダメ。
広島へ修学旅行に行くとき、仙台空港発着のコースを組みましたが、彼だけは新幹線を使いました。
私にもその気持ちがわからないわけではない。
一番の怖れは〈墜落すればほぼ全滅〉にある。
この件に関して、東京の叔父の説が忘れられません。

「スチュワーデスに美人をそろえるのは、乗客に〈死ぬときは一緒〉という安心感を与えるためなんだよ」

なるほどと納得した自分、その説を妻に告げたら、

「それは男のいい分、女の客はどうなのよ」
と反論されてしまいました。
「機長にイケメンをそろえて、出発時に機内放映してはどうか、あの人となら死んでもいいわと思う女性が出てこないとも限らない」がこちらの案。
けれどほとんどの人は、誰とだって死にたくはない、離陸したとたん、わが運を天にまかせるほかないのです。

【往還集136】36 飛行機

2016年8月31日
「朝日」の連載小説に綿矢りさ「私をくいとめて」があります。
その8月27日付に飛行機についての興味深い描写が。

「飛行機に乗り始めのころ、落ちる落ちないは別として、上空1万メートルの場所にいて、ものすごい速度で移動しているのにもかかわらず、まるで地上にいるかのように食事をしたり、映画を見たり、毛布にくるまれて眠ったりするのが受けつけられなかった。しらじらしい小芝居を見せつけられているようで、本当は平気じゃないくせに!と叫びたくなる。」

引用はここまでにします。
私も人並みに何度も飛行機に乗り、いつの間にか慣れが生じてきましたが、はじめのころ「しらじらしい小芝居」を感じたことがあります。
地上を離れて雲上に出、平行飛行に移ると、まるでふつうの生活を営んでいるような感覚になる。
けれど気流の乱れに入ったりすると、ここは機上である!と覚醒してしまうのです。

【往還集136】35 オリンピック余見

2016年8月30日
余聞ということばはありますが余見はあるかどうか。ないなら造語ということで。
リオオリンピックをテレビで観戦しながら、私の目はあらぬところへ行きます。
それは男性の腋の下。体操や水泳では脱毛している選手が半分に近づいてきました。
女性の場合、東独健在の時代までは無脱毛がいました。今や100%つるつる(現在は腋の下のみならず陰部にも及びVIOの用語さえ生まれています)。
髭、腋毛、脛毛、胸毛、それらは男性のシンボルですらありました。
ところが徐々に変化が生じたのです。
私は13年まえまで高校の水泳部の顧問をしていましたが、全国大会級の選手になると脛の脱毛がはじまっていました。
最初はペロンとして気持ち悪かったのですが、いつしかウジャウジャのムダ毛のほうが不気味になってきたのです。
この勝手な感性の変化。
毛は自分を決して「ムダ」と思っていないのにと同情しつつ。

【往還集136】34 むのたけじさん

2016年8月22日
むのたけじ(本名武野武治)さんが昨日逝去されました。
101歳とは立派なもの。
宮沢賢治学会のイーハトーブ賞を受賞されたのは2012年。
当時私は選考委員を務めていましたので、授賞式当日、花巻まで来てくれたむのさんに挨拶しました。
100歳に手の届く年齢というのに、凛凛たる発声。頭脳も明晰です。
むのさんには新書版の『詞集たいまつ』があります。
仙台商業高校在勤ときのことですが、勉強に興味を示さない生徒が多く、授業も成り立たない状態でした。
そのとき図書館に『詞集たいまつ』を50冊入れてもらい、教室に運んでは書写するという授業をやりました。

「這いつくばっても、生きねばならないときがある。這って生きるよりも、立って死なねばならないときがある。」

こういう短文がいっぱい。
生徒たちは生まれ変わったように、シーンとして書写するのです。むのさんの筆力のおかげでした。

【往還集136】33 仙台、

八木山動物園と荒井を結ぶ地下鉄が広瀬川を通っていく。

2016年8月18日
青春の地といえば、私にとっては仙台の川内が第1。
学生になった1961年つまり60年安保の終焉した翌年、仙台に来てまず下宿したのが川内の山屋敷。
校舎もその一帯。
広々とした芝生のなかに、白い瀟洒な建物が点在している。講義が終るたびに別の棟へ移動する。
つまりそれは元々駐留軍の住まいで、引き上げたあとを大学が使っていたのです。見かけの瀟洒さとはちがって、夏には暑く冬には寒い、安っぽい建物でした。
しかしなにはともあれ、講義、部活動、学生運動などなどの主舞台です。
ところが55年の歳月は、川内を一変させました。
青葉城や植物園の緑はそのままながら、大きな国際センターができ、地下鉄東西線も開通し、まるで近代都市にまぎれこんだ気分です。
今日、国際センター駅へ行き、二階レストランでコーヒーをのみながらあまりの変貌ぶりに、ひどく、しかし静かに感傷してきたのでした。

【往還集136】32 小紋潤『蜜の大地』(ながらみ書房)

2016年8月12日
東京を去ってからの小紋氏の詳しい動向を、私は知らずにきました。故冨士田元彦経営の雁書館の
編集者だったのですが、書館が廃止になり、郷里長崎へ帰って以後、音信もなく過ぎてきました。
その小紋氏の新歌集を受けとり、たちまち引きつけられました。

「死に至ることなき孤立 蒼然と佇ちをる楡のまぎれなき生」
「苦しみは炎の象(かたち) 崩れゆく予感の中に耐へてゐたれば」

これらからは、精神のぎりぎりの痛みが伝わってきます。
けれど、

「神神の宿りたまへる大樟の真下にいこふ乳母車あり」
「生きて識ること多ければ一日の終りに開く合歓の花あり」
「見下せばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ」

などには、生への限りないやさしさがあり、深い祈りもあります。
歌集を編んだ谷岡亜紀氏の「『蜜の大地』覚書」によると、腰痛悪化や脳梗塞以後療養生活に近い毎日を送っておられるとのこと。
再起されんことを。

【往還集136】31 手仕事

仙台七夕の飾りつけ 「ノーモアヒロシマナガサキ」の手作りの折り鶴。

2016年8月11日
短歌結社誌「コスモス」に片柳草生(かたやなぎくさふ)さんが「道具さんぽ」を連載しています。手仕事によるさまざまな道具をとりあげたエッセイです。
毎号楽しみに拝読しながら、よくネタがつきないものだなあと感服するのです。
なぜこんなにも、手仕事が好きなのか、『手仕事の生活道具たち』(晶文社)の「あとがき」にすでに書いています。作り手の取材体験を重ねているうちに、

「素敵なものや力あるものには、必ずや、その人が映し出されている」

と実感するようになったと。
いかにも、いかにも。
機械で大量生産したものとちがって、手仕事品には作り手の〈人間〉がこもり、いつしか〈力〉となる。
仙台の夏といえば七夕。人の目を引きつけ、感銘を与えるのは、ただ美しいものではない、たっぷりと時間をかけた、手仕事による吹き流しです。
今年もデジカメにおさめてきました。その一端をどうぞご覧ください。

【往還集136】30 白衣の人

2016年8月10日
『水晶の座』に、

「霜こごるに手をつき銭を乞ふ白衣を見れば彼も吾を見る」

があります。
田谷は1917年生れ。応召体験がありますから、戦後の傷病兵も他人事ではなかったはず。
「白衣を見れば彼も吾を見る」には双方の、あるいたたまれなさが凝縮されています。
私も子どものころは、人ごみのなかに銭を乞う傷病兵を見てきました。さまざまな異形は、あわれを越えて不気味でさえありました。
中学のときの修学旅行は東京。
上野公園を通ったとき、アコーディオンを弾く何人もの白衣の人達を見ました。
眼帯やギブスの姿、両足がなくて地にひれ伏す人もいました。
担任の先生は岩手県教職員組合()に熱心な人で、戦中派でもありました。
当然同情するのかと思っていたら、

「補償金をもらっているはずなのに、あわれみを乞うている!」

と憤然といい放ったのです。
あの憤りは、なんだったのでしょうか。

【往還集136】29 京都でなく

2016年8月7日
昨日、NHKスペシャル「決断なき原爆投下 米大統領71年目の真実」を見ながら、複雑かつやりきれない気持ちになってしまいました。
投下地候補は京都・広島・長崎・小倉・新潟で、原爆計画責任者グローブス准将は京都を第1にあげていた。
大統領側のスティムソンには京都訪問体験がある。もし歴史都市に落したら戦後和解の芽を摘み日本を反米国家にしてしまうと強く反対したため、広島と決まったのです。
この経緯についてはすでに公表されていますが、改めて詳細を確認しているうちにこちらは複雑な思い。
いかにも京都は歴史・文化の集約された重要な都市。投下されたら多くの文化財と市民が壊滅状態になる。
だからといって「京都でなく、広島でよかった」ということにはならないし、けっして口に出していえない。
上からの目線と下からの目線には、かくも大きな落差がある、原爆のみならずと思ったのでした。

【往還集136】28 山小屋のソーメン

2016年8月1日
仙台商業高校に勤めていたとき、山岳部の顧問になりました。
ある年の夏、山形県の朝日連峰を5日かけてゆったりと縦走する計画を立てました。
私は山形方面は不案内でしたが、もう一人の先輩顧問が山形出身で、山岳に関してはプロ級でしたからこちらは安心。
連日の猛暑となりましたが、濃緑の峰々をたどる心地は格別。
以東岳をきわめたのち、山小屋に泊まることになりました。
すると小屋のご主人が、ちょうどソーメンと胡瓜が冷えたところだといって、谷川につけている笊を持ってきてくれました。
そのときの舌ざわり、喉ざわりの極上だったこと。
以来、真夏になると、何度でもソーメンをゆでたくなります。麺のころあいをみはからって笊へ移し、冷水でもみ洗いする。それを素手で、ざっくりと皿に盛りつける。
この夏もすでに、何度目かのソーメン。
朝日連峰縦走のかの夏が、さわやかによみがえってくるのです。