2016年6月6日
いまでは唱歌と童謡の区別がつかなくなりました。
もともと唱歌は明治になり、学制の整備にともなって出てきたもの、したがって明治唱歌と通称されています。
その歌詞たるやあまりにもひどいと、徹底批判して新風を送りこんだのが北原白秋です。
彼は「赤い鳥」を主舞台に創作童謡を発表していきます。
それが大正期童謡です。
私は『北原白秋 大正期童謡とその展開』を書くとき、明治唱歌を可能な限り調べました。
白秋のいうとおり、初期のはとても芸術とはいえない。
けれどしだいに作詞、作曲のレベルが上り、日本の文化史にとっても貴重な財産となりました。
仙台文学館のまど展の期間に講座を担当することはすでに書きましたが、その下調べで、久しぶりに唱歌の歴史をふりかえりました。
そうしたらあまりにも興味深くて、ついついのめりこみそうになっています。
いくつかの問題点をざっと粗描してみましょう。