【往還集136】3 自然詠

2016年5月18日
「自然と一体となる東洋的境地」と口にしておいて逆をいうことになりますが、この境地、ずいぶん衰退してしまったなあーーが実感です。
短歌には自然詠があり、アララギが盛んだった時代は、それこそが主流でした。
中村憲吉はいまの若い世代にはほとんど顧みられない歌人ですが、『軽雷集』にはずいぶんいい自然詠があります。

「谷川の石のにほひのかすかなれかみ風の吹き通りつつ」

「杉の樹に啼くひぐらしはおとと耳にひとつに入りてしづけし」

「ひぐらしを一とききて鳴かしめしばかりに谷の雨すぎにけり」

自然のなかに人間が包まれている、自然は共存し、ときには畏怖する対象だった、そういう感覚がこれらの基底にうかがうことができます。
現在はどうか。
人間の科学力は自然を征服してきた、今後も自然を超える可能性を秘めているーーと鼻を高くしているのでは。
これでは自然詠も成立しがたいわけです。