2016年5月18日
旧約を少しずつ読んできて、今朝は「詩篇121」。
岩波書店版の松田伊作訳で、「私は目を挙げる、山々に向かって」とあります。
以前、民放ラジオに「聖書の時間」があり、「私は山々に向かって目をあげた」にはじまりました。
けれどこの一句は「我、山に向かひて目を上ぐ」がいい。聖書はどうしても文語訳がいい。
それはともあれ、長い間この一句は自然と一体となる東洋的境地に通い合うと思ってきました。
ところがこちらの勝手な解釈。
旧約と合わせて浅野順一『詩篇』(岩波新書)も読んでいるのですが、そこにはずばり
「聖書の世界において自然は人間に対してやさしく微笑むものではなく、人間は自然の懐に温かく抱かれて生きて行くのではない。」
と記されているではありませんか。
山へ向かって目をあげるのは自然と人間が一体となるどころか、天地創造の神を思う行為だったのです。
とんでもない誤読でした。