【往還集135】49 2冊の歌集

2016年5月9日
歌誌や歌集をよく読む。
そこで出会う歌人たちの多くは、歌を自己表現の手段として選び、文学の1分野だと考えている。
私もまた、こういう気風をいつのまにか前提にしている。
だが気風などとは全くべつに、作ること自体を存在の支えとする人もいる。
たとえば鳥居『きりんの子』、またたとえば山口伊満(いま)『冬の蟬』。
私は同じ時期に2冊を読んで、内心、衝撃を受けた。
前者は「天涯孤独のセーラー服歌人」として、〈戦略的〉な売り出されかたをしたが、作風は同年代の歌人との比較でいえば、旧時代的。その分、技術的なうまさがある。
後者もやはり若い日に数々の辛酸をなめてきた経歴があり、96歳になってはじめて第1歌集を出した。これまた技術的には驚くほどしっかりしている。しかも歌の世界が大きい。
このふたり、短歌で表現することを、生きる糧にしてきた。いうなれば、歌うことが存在証明ともなっている。