2016年5月30日
仙台文学館では4月23日から6月26日まで「まど・みちおのうちゅう」展をやっています。
企画が持ち上がったとき私はまだ体調を崩していませんでしたから、「それなら例年の賢治講座に替えてまど講座をやりましよう」と宣言し、日程にも入れてもらいました。
ところがドッと寝こんでしまうアクシデント。
まどさんとは書簡での交流が31年間あり、110通見つかりました。
けれど再読するゆとりもなく、資料として文学館におあずけしたまま。
やっと体調を取り戻しつつある今日行ってきました。
すると書簡は学芸員の方が全て読んでくださり、10数通の展示となっていました。
まどさんは理論の類をあまり書かない人でしたが、その分書簡のあちこちに散りばめていました。
このまま埋もれさせるのはいかにも惜しい、自分も体力を取り戻し「路上」を再開したら、少しずつでも公開していこうと思い立ったのでした。
月: 2016年5月
【往還集136】6 オバマ氏広島に立つ
2016年5月28日
アメリカ大統領オバマ氏が27日の夕、ついに広島に立ち、原爆死没者慰霊碑に献花しました。
出発からの一部始終をテレビで見ていた私は、最後に被爆者と抱き合う場面には、率直に感銘を受けました。
だのにどうしても釈然としないことがあったのです。
それは安倍総理の存在。
彼が早めに広島入りしたのはいいとして、以後オバマにほぼひったりくっ付いている。そればかりかオバマ演説が終わると、今度は自分が長々とやりはじめた。
「あの忘れえぬ日に生まれた子どもたちが恒久平和を願ってともしたあの灯火に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それがいまを生きる私たちの責任です。」
この文脈につづくとしたら
「そのためには平和憲法を守っていきます。」
が自然の流れ。
けれどそんなことは一かけらも口にしない。オバマを広島に立たせたのは自分の力だと世界へ誇示したかった、本音はそこにあったのでしょう。
【往還集136】5 「震災を詠む2016」・続
2016年5月23日
以来、5年。
この歳月をどうとらえたらいいのか、うまく焦点を合わせることができずにいました。
圏外の人にとっては忘れるに十分な時間。圏内だっていつまでもウジウジしているわけにはいきません。
そんなことを漠然と思っていたときに、全身倦怠・声帯不作動・視力衰退に襲われました。
「5年」がいまになって内部に噴出したというわけです。
圏外からは見えないことが、圏内ではいまからはじまっている!
今回、高校生の送ってくれた歌に
「レントゲンを撮りますからねと医師の声甲状腺の脆さを知りぬ」
がありました。5年前は小5です。福島に住んでいて甲状腺検査を受けたとき、優しい医師の声がかえって怖かったというのです。
この不安はこれからもつづいていきます。だのに「フクシマのことは、なかったことにしよう」という動向が年々出ています。
「なかったことにされてたまるか」と私は思っています。
【往還集136】4 「震災を詠む2016」
2016年5月23日
昨日は郡山の奥羽大を会場に、ハートネットTV「震災を詠む2016」が開かれました。
すでに「往還集」にも書きましたが、私は5年を過ぎたあとすっかり体調を崩して静養状態でしたから、ドタキャンをしないようあらかじめ「限りなく欠」と連絡していました。
が、なんとか声帯が作動するようになり、不安を抱えながらも参加してきました。
今回の選者は東直子さんと私、ゲストは知花くららさん、生島ヒロシさん、司会は山田賢治キャスター、朗読は河野多紀アナウンサーです。
この企画には1回目から携わってきました。
初回は3・11の秋でしたから、会場の緊迫感は異様なほどでした。1首紹介するたびに観覧席も壇上も目頭を覆い、アナウンサーまで声をつまらせる状態でした。
「死に顔を「気持ち悪い」と思ったよごめんじいちゃんひどい孫だね」(高校生)
をはじめとする、感動作品もいっぱい生まれたのでした。
【往還集136】3 自然詠
2016年5月18日
「自然と一体となる東洋的境地」と口にしておいて逆をいうことになりますが、この境地、ずいぶん衰退してしまったなあーーが実感です。
短歌には自然詠があり、アララギが盛んだった時代は、それこそが主流でした。
中村憲吉はいまの若い世代にはほとんど顧みられない歌人ですが、『軽雷集』にはずいぶんいい自然詠があります。
「谷川の石のにほひのかすかなれかみ風の吹き通りつつ」
「杉の樹に啼くひぐらしはおとと耳にひとつに入りてしづけし」
「ひぐらしを一とききて鳴かしめしばかりに谷の雨すぎにけり」
自然のなかに人間が包まれている、自然は共存し、ときには畏怖する対象だった、そういう感覚がこれらの基底にうかがうことができます。
現在はどうか。
人間の科学力は自然を征服してきた、今後も自然を超える可能性を秘めているーーと鼻を高くしているのでは。
これでは自然詠も成立しがたいわけです。
【往還集136】2 山に向かひて
2016年5月18日
旧約を少しずつ読んできて、今朝は「詩篇121」。
岩波書店版の松田伊作訳で、「私は目を挙げる、山々に向かって」とあります。
以前、民放ラジオに「聖書の時間」があり、「私は山々に向かって目をあげた」にはじまりました。
けれどこの一句は「我、山に向かひて目を上ぐ」がいい。聖書はどうしても文語訳がいい。
それはともあれ、長い間この一句は自然と一体となる東洋的境地に通い合うと思ってきました。
ところがこちらの勝手な解釈。
旧約と合わせて浅野順一『詩篇』(岩波新書)も読んでいるのですが、そこにはずばり
「聖書の世界において自然は人間に対してやさしく微笑むものではなく、人間は自然の懐に温かく抱かれて生きて行くのではない。」
と記されているではありませんか。
山へ向かって目をあげるのは自然と人間が一体となるどころか、天地創造の神を思う行為だったのです。
とんでもない誤読でした。
【往還集136】1 中国語
2016年5月13日
自宅から車を走らせて峠を越えると、秋保温泉です。
深い緑と荒々しい溪谷、そしていくつものホテルが、わずか10分で現れます。
そのなかでひときわ目立つのは、山上にそそり立つホテル。壁の白と屋根の緑がいかにも鮮やか。広い庭園もなかなか見事。季節の折々には、散策を楽しみます。
今日もまた。
フジの紫、シャクナゲの紅、そして全体を包む静寂。
久しぶりに心をほぐしながら歩いていたら、露天風呂のほうから男性たちの歓声がするではありませんか。
温泉街のにぎわいは、ふつうは夕からなのに昼間盛り上がっているとは。
耳をすませば日本語ではない。抑揚からして明らかに中国語。中国か台湾の団体様にちがいありません。
中国の人たちなら特にのんびりとはしゃぎたくなるでしょう。帰国して「えがった、えがった」と報告するにちがいありません。
これも大切な国際交流ではないでしょうかね。
【往還集135】50 2冊の歌集・続
2016年5月9日
『キリンの子』から引用する。
「夜だけはみんな死んでた夜だけはひとり起きてた(夜だけが味方)」
「長靴をどろんこにして帰る道いくつもの空の波紋をまたぐ」
「土煙(けむ)り不在の父に会いにいく夏影冷えて黒い遮断機」
「みずいろの色鉛筆で○つけるこんなに長く今日も生きたよ」
「紙飛行機手から風へと放つときひこうきは空の窓通過する」
『風の蟬』から引用する。
「争ひに負けし鴉が飛び立ちて中洲に重き風圧残れり」
「駅裏は喧噪極むる蟬しぐれ鳴かざる蟬が大樹を抱く」
「雑踏に鈴の音ありて托鉢の少年僧の笠の白雪」
「燃えのこる燠火のごとく吾が裡に短歌に魅せらるるこころ尽きせじ」
私も時々、短歌の批評会に出ることがある。そういうとき、難しい論議とはべつに、「堅苦しいことはわからないが、ただ短歌を生きがいとしている」と発言する〈大衆〉歌人を目撃することがある。
これこそが原点だと、私は初心にかえる。
【往還集135】49 2冊の歌集
2016年5月9日
歌誌や歌集をよく読む。
そこで出会う歌人たちの多くは、歌を自己表現の手段として選び、文学の1分野だと考えている。
私もまた、こういう気風をいつのまにか前提にしている。
だが気風などとは全くべつに、作ること自体を存在の支えとする人もいる。
たとえば鳥居『きりんの子』、またたとえば山口伊満(いま)『冬の蟬』。
私は同じ時期に2冊を読んで、内心、衝撃を受けた。
前者は「天涯孤独のセーラー服歌人」として、〈戦略的〉な売り出されかたをしたが、作風は同年代の歌人との比較でいえば、旧時代的。その分、技術的なうまさがある。
後者もやはり若い日に数々の辛酸をなめてきた経歴があり、96歳になってはじめて第1歌集を出した。これまた技術的には驚くほどしっかりしている。しかも歌の世界が大きい。
このふたり、短歌で表現することを、生きる糧にしてきた。いうなれば、歌うことが存在証明ともなっている。
【往還集135】48 切り絵
2016年5月5日
紙と鋏があれば、手が動く。
まず紙を半分に折って鋏で切り込んでいく。細かいところまで終り、さーっと広げる。
すると、さまざまな鬼さんが出てくる。
これが得意で、子どもたちにおみやげにあげる。
現役の時は受験シーズンが近づくと、Vサインをした鬼を台紙にはり、合格祈願のお守りとして50枚も作った。
その切り絵、風除室にもいっぱい貼ってある。
現在地に引っ越してきたとき、人家は少なく、まともに蔵王颪がやってきた。これはたまらんと、玄関をガラス張りの風除室で囲った。
周辺は森に囲まれているから、小鳥たちもやってくる。
ところがガラスに映るのが、ほんものの空だと勘違いして、体当たりする。脳震盪を起こすことしばしば。
これはかわいそうと、切り絵を貼って防ぐことにした。
以来衝突する小鳥たちはいなくなった。
道行く人がなんと芸術的なとほめてくださるが、目的は小鳥さんのため。