2016年2月4日
1960年、高3の日に刻みこまれた名前がある。
「樺美智子」。
安保闘争のさなか、犠牲となった女子大生だ。
以来、何度も何度もこの氏名を思い出す。それはもちろん社会的事象を背後にしているからだが、おそらく、それだけではない。
安保の2年まえには皇太子成婚があり、皇太子妃が「美智子」だったという偶然の一致も作用している。
が、どうもそれだけでもない。
仮に「樺」でなく「杉」「楢」「柳」だったなら。
「カンバ」の音韻ゆえにインパクトが生じたのではなかろうか。
昨年一躍有名人になった「五郎丸歩」。
この場合も「ゴロウマル」だから、名前が相乗効果をあげている。もし「三郎丸」「四郎丸」だったなら、ここまで熱狂させはしなかった。
どうやら、日本語の音韻には言霊を呼ぶ要素がある。
ちなみに、仙台には四郎丸という地名が実在する。いまは住宅街だが、かつては田園地帯。誰もさわいだりしない。